3年

2013年9月18日 (水)

3年

3回目の命日がすぎて、台風がすぎて、今日は秋晴れでした。


出勤途中の電車の中から、夏の黒い富士山が見えました。
その場所は、夫と一緒に住んでいた家の最寄駅。
あのころ、私は駅のホームから富士山が見えるって知らなかった。
夫は気づいていたんだろうか。


夫くん、富士山が見えるよ。
富士山が見えるよ、って教えてくれたのは、夫かもしれない。
仕事行きはじめた1年半前。出勤の初日に、白い富士山が見えた。
私のきもちが落ちてるとき、朝のその駅から富士山が見える。


□□□


3年間は、わたしの思っていた想像とぜんぜん違うかたちで過ぎた。


今すぐもうだめ、いつでももうだめ、
でも1年だけがんばるって思ってたけど、
3年もぜんぜん生きまくって、どうやらめちゃ元気だ。
ごはんも、美味しい。


幸せでありますように、
私の親しい人々が幸せでありますように、
生きとし生けるものが幸せでありますように、
そうつぶやき続けて、結局、私がとっても元気だ。


□□□


いつか以前の自分のように、もとに戻って、と想像したことは、早速ムリだった。


相続のときに、車を手元にのこすと決めたときも、
ゴルフのバッグを家の中に置いたときも、
「1年ぐらいたてばまたゴルフ行けるようになるか」と思った、けど、まったくむりだった。


2年ぐらいたっていれば、ハワイで散骨とかそれもあるだろって思っていた。
・・・いまも、家にがっつり夫のお骨があります。
でもね、命日のあまりのさみしさに、「あ~いてくれてよかった~」って泣いたバカものです。


ごめんなさい。
ほんと、まさか、まさか。


夫が倒れたときをさかいにテレビ見なくなって、見れなくなったと気づいて、
テレビ見れるようになったら普通に戻ったときだ、って妙にあせっていたけれど、
まったくテレビ見ないままだよ。


でも、わたしは、それで、いいみたい。


夫くんがいたときと同じようには、なれないけど。
夫くんがいないんだから、同じはないし、
元に戻らなきゃっていうも、へんな話だ。


毎朝、コーヒー入れて、お話して、
毎日、お仏壇の前で瞑想して、
いつのまにか、コツコツと着実にやっていってるよね。
私らしくないかねえ。


お話、したい。
若いままだなんて、ずるい。
私なりに、けっこうがんばったつもりなので、もうかんべんしてほしい。
会いたいです、会いたいです、会いたいです、

2013年9月 9日 (月)

3年目の、日曜日

日曜日、義兄一家4人が集まってくれて、
うちにもきてくださって、
本願寺さんで読経していただき、
夜には、みんなで居酒屋に行きました。


3年目の祥月命日、の法要。


今年の春から、義兄んちの姪と甥は、
ほんとに偶然なんですが、二人とも仕事で東京に住むようになりました。


夫と知り合ったばかりのころは、ふたりとも小学生だった。
「ぼくとこ甥と姪がおるねんけど」と話してくれたの、思い出します。
かわいかったし、子どもの存在が面白かったんだろうと思います。


甥はほんとにずーっと家にいた人なので、
義姉は離れてしまって、いっそうかわいくて心配でならないよう。
お魚の身をとってあげていたのは、正直ちょっと引いちゃった、、けど、
母親のしたいようにさせている甥が、やさしいのかな?^^;。
義母も非常に世話やきだった、けれど夫はよく「ええから!」って怒ってた。


義母は、東京に、連れてきてもらえませんでした。
義母は?とそんな話にもなったのだけど、
同行する義姉夫婦はすごく大変なので、やっぱり私らだけで行くわ、と。
義兄一家も、義母も、極端な偏食なんだけど、
食べられるものが見事にかみ合わないので、みんな一緒だと義姉は困るみたい。


当日の朝、メール着信音がなった。
義姉かな、「新幹線乗ったよ」ってメールかなって思ったら、
義母だった。
「起きたら電話ください」って、、それだけ。


ひさしぶりに手のひらにジュワワと汗が出た。
義兄夫婦が、朝「東京いってくる」っていきなり言ったので、
頭にきて、私にメールしたんだと思う。


まず感情のままにぶつけてきはるのは、
、、、やっぱり苦手。


いろいろやりとりして、義母にはメールで返信しました。


そんなこともありましたが、
義兄一家は東京で家族せいぞろい。
とても、あたたかくて、ありがたいことでした。


義姉とは親しみやすくて、いろいろやり取りしてお世話になっているけれど、
義家族との関係のなかでは、
わたしは、義兄のことを、精神的にとても頼ってるなあって思いました。
やっぱり、夫のお兄さんだな〜って思うときが、いっぱいあるのです。
お兄さん、いつまでも元気でいてほしい。


「○○ちゃんはうちの家族と仲良くなるかなあ」
「みんな○○ちゃんのこと、なんて呼ぶかなあ」って
結婚が決まったころ、夫は言ってました。
義家族と会うと、なんで夫はいないのかな、と思います。

2013年8月29日 (木)

8月のおわり

命日は9月だけど、
8月最後の日曜日の朝に、
急性心筋梗塞で夫は倒れて、
救急車で病院に行って、
そのまま意識がもどることはありませんでした。


当日も脳へのダメージが大きいと言われて、
数日後には、脳死ですと言われたので、
その間の夫を、生きていたと考えていいのか、生かされていたと思うべきか、
よく分からず(いまさら分からなくていいのだろうと思いますが)
ただ、あまりにも突然だった、
その瞬間は、8月のその朝です。


あのときと同じ日付が、3回目にめぐってきて、
その前日、休日をいっしょに過ごしたときの、
なんとも愛らしい夫の言動を突然思い出し、
仕事中にもウッとなって、ちょっと驚きました。


あの日を境に、
なにもかもが変わってしまった、と
そう思っていたけれど、


私のなにが変わった?


私のみてくれも、からだも、なにも変わらない。


変わったのは、夫の命。


突然、とぎれたのは、夫の命。


でもね、消えてなくなったんじゃないんです。
生死は、
枯れてしまった花が、同じ枝から次の春には咲くように、
雲が雨になって、川になって、また雲になるように、
ずーっと続いて、つながっていく。


夫の命の、現れて見えていたものが、見えなくなったけれど、
それは、消えたのじゃなくて、見えなくなっただけ。


□□□


でも、
いつも読んでいる闘病ブログ、
骨髄移植を受けられて、その後の日々を生きておられる方のブログのことば。


「『死ぬことは終わりじゃない』…(中略)…
所詮は生きている人間の論理です」


そうだ。
死が終わりだと思うからこそ、
つらい治療に耐えて、闘って、前向きに生きていくのだもの。


大切な人の死を思うと、こわい。


□□□


夫のことを考えるときは、「夫は消えたんじゃない」って、
それがほんとうだと思うし、そう思うと、切ないけれど、やっていける。
遺されてしまうってことは、
生きている人間でしかないんだなあ。


夫くんのものは、なんでもそのままに置いてしまってある。
3年使ってない、手入れもしてないのだから、あんまりかな。
でも、いつ帰ってきてもいいよ~なんて思ってる。


・・・ちがうな。


いつ迎えにきてくれても、いいよ。
迎えにきてね、おねがい、
だ。

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  • ウ525
    2010年9月46歳夫突然死。子どもなし一人暮し。なかなか元気でませんが、マイペースで生きてます。 twitterアカウント:usako88chan instagramアカウント:usako88
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