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2015年8月22日 (土)

おはなし

仏教の新書の出版記念で、翻訳された僧侶の方の講演があったので、
聞きに行ってきました。。。
すごくよかった。


仏教の本を読んだり、お話を聞くときに、思い出すことがあります。
死別後の1年半、通っていた心療内科で、先生がおっしゃったことです。
もうひとりの自分をおくんですよ」と。


今回の講演で、「人には心が二つある」というお話がありました。
「第一の心」と、「第二の心」です。
「第一の心」はわかりやすい、、『思考』かな。
日常生活、ぶつぶつとつねに何かを考えてる、
フィルターかけて周囲を見てる。
そしてこれが、「現実」で「自分」だと思っている。


でも、「第二の心」は、意識や思考を通さない心。
講演では「me」と「we」の対比で説明されていました。


夫が亡くなった。。
先生は、悲しみをがまんせずに泣きなさい、と言いました。
たぶんこれは、「第二の心」なのかなあ。


だけど私の中は、悲しみだけじゃなくて、、
自責の念、後悔、周囲との関係、やらなきゃいけないこと、
精神的な負担でいっぱいだった。
どんどこネガティブになっていて、
「ひきずられたらダメだよ」って、先生が言ったのです。


私は「悲しみ」も「ストレス」もいっしょくたで、狂いかけていました。
「悲しみ(感情)」は放出したほうがいいけれど、
「第一の心」は暴走させてしまってはいけないよ、ってことだったのかな。


それは実際はすごくむずかしくて、無理だったのですが、
先生のことばで、なにかに気づいたのは事実なのです。


座禅とか瞑想は、暴走して占有しがちな思考をとっぱらって、
「第二の心」にアクセスすることなのかなあ。
「純粋精神」とかいわれるもの。
自分の外側にあるようで、自分のいちばん中心にありそうな気もします。。。


そんなことを、もやもやと考えて、、、
(考えるのがダメなんだろうと思うんですが^^;)


息している自分は、純粋に、ただ生きようと息をしていて、
からだはぜんぶ一生懸命、生きようとしていて、
周囲にあるすべても、生きようとしていて美しいよな。
それがうれしいことなのだと感じられるようになるのが、
瞑想なのかなあ、、、。


いま感じていること。
自分メモ。

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コメント

瞑想をしていると、確かに自分を外から見てる感じってあるかもですね。
私が教えてもらったところでは一日2回するのがいいということですが、私は
一日一回です。。毎朝、代替決まった時間。もう習慣のようなものです。。

純粋意識というのらしいんですが・・・確かに人の思惑は考えなくなったかも
しれないし、何かを決める時も、ふわふわしてないで当たり前のように
どれかを掴んでるのかな。

broncoさん、ありがとうございます。
私はここのところ朝寝坊することが多くて、瞑想は夜一回になっています。
ただ気づいたときに、ゆっくりと呼吸に集中するようにしています。

瞑想についてもいろんな情報がたくさんあるし、
考えすぎるとなにがいいのかわからなくなりますが、
これだけは、あれから続けてきたことで、
少しずつ穏やかに強くなれているように思うので、
あまりブレないように、続けたいなあって思っています。


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