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2012年9月15日 (土)

にねん

今日が命日。京都の本願寺さんでお経あげてもらいました。


日帰りだけど、静かに過ごせました。夫の好きな、夫の生まれ育った町だし、こんなのもいいかなあと思いました。


ふたりでウロウロした、思い出のたくさんある繁華街には、まだ行く気には、なれなかった。


いま、家にお花がたくさん。夫の会社の人たちや、友人から頂きました。


なんで夫だけ、いないのかなあ。

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2年」カテゴリの記事

コメント

こんな気持ちのまま二年もやり過ごすことができたのか、
そんな思いではないでしょうか。

この世の中はやたらと期間で区切りをつけていくけど
それはそれ。
私はむしろ最近夫への思いが深くなった気がします。
続きの三年目の始まりですね。

私もあれからの年月を過ごしてきたことに時々
ぎょっとします。過ごせないはずだった・・・
もう私には先に何もないと思ってたはず・・・
それなのに、なんだか当たり前のように過ぎたらしい。。

主人の存在が私の中で変わることはないのだけれど
周りの出来事が、どんどん一緒に過ごしていないものが
増えていきますよね。説明するのさえ難しいような問題。
一緒に経験してほしいこと・・それがもう叶わないという
ことが、何よりも空しく寂しい気がしますね。

秋には主人の学校の慰霊祭には参列しますが、それ以外では
私もゆっくり京都に行く気持ちになれません。
京都でひとりで大泣きすれば、少しは変わるのでしょうか。。

kacocoさん。
「こんな気持ちのまま」。。ほんとうにそうですね。
急激な落ち込みに慣れないときは、こんなに泣いたり落ち込んだりばかりの精神状態だけが続いて、狂ってしまうんではないかと思ったときもありましたが、やり過ごしてしまえました。
実は命日の日、「2年目が終わったのは昨日、今日はもう次の1年を数える日だな」って、ふと考えました。kacocoさんのコメント、一言ひとことが、ほんとうにうれしかったです。

誰に迷惑をかけるわけでもない(と思う)ので、夫への気持ちはこのままで、日々、半歩半歩先に足が出せればそれでいいように思っています。

broncoさん。
一時期の私を支えたのは「私もいつ死ぬか、今日も明日も分からない(だから一日一日だけがんばる)」っていう気持ちでした。でも、平穏に、ここまで来てしまった。代わりに、大切な人が病気を患ったりしています。もう、ほんとうに、よくわかりません。
まわりの出来事はどんどん変わりますね。夫の存在は変わることはないけれど、「私」は変わってしまいます。それがイヤで、悲しくて、こわくてしかたのないときもありましたが、「夫の存在」の大きさだけはちっとも変わることなくあります。
broncoさんの「京都で一人でおお泣きすれば、少しは変わるのか」というお気持ち、私は「海」にも少しあって。こわいけれど、行くなら一人で行きたい。静かにただ泣いて、ぼんやりしたい。でも、現実はカップルやファミリーが楽しむ場所でもあるので。。。とほほです。

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