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2011年9月

2011年9月29日 (木)

こわい

眠れなくて、悶々。


私、できないことが多い。


実家に帰れてない。夫実家にも帰れてない。
家族、義家族に会うのはいいけど、夫がいるのと同じシチュエーションで、彼だけがいない場面が、こわいのか。今の自分の空間からたくさん離れるのも、こわいのか。ただ、うごくのが、こわいのか。


音楽聴けない。ドラマもバラエティも、映画も、今も見れない。ニュースが限界。


以前の私にとっての、気分転換な刺激は、ほとんどぜんぶ、コワイにちかい。こんなん、人に言えない。自分の弱さに卑屈になる。


こないだカウンセリングで、「テレビ見れないとか、他の人に迷惑かけないことは、あせらず自分のベースでいいと思ってます」って言ったばかり。いままで「無理はしない。自然に、したいって思えるまで、しなくていいよ」ってアドバイスされてた。


自分でも、そのうち、自然にできるだろうって思ってきた。お化粧やお料理が、そうだったから。人にだって、前より自然に会えるようになったから。


でも、したい、しようかなは、まだやってこない。今できないことって、こわい、に近い。意味もなく、モヤモヤと不安になる。


カラオケなんか…、もし、めっちゃ気を使う人に言われても、ごめんなさいって言ってしまいそう。


やっぱり、私、おかしいなあ、病んでんのかなあ。こんな人いないよなあ。自分が情けない。どっかで何かまちがったんかなあ。


悶々としてたけど
眠れないから、さらに奈落の思考回路だなって、気づいた。


できなくたって、そんな、たいへんなことじゃないや。いまのとこの、表面上は、困ってない。どうしても、やんなくちゃいけないときは、やるんだし。


生きることは、苦しいこと。できることを数えよう。それだって、いっぱいある。


病んでるって思われるなら、それでいい、そんな自分に付き合っていくだけ。


それにしても、娯楽の世界は、こわいものだらけ。夫との幸せで、娯楽を楽しみすぎたん。。

2011年9月26日 (月)

もう、いないんだなあ

先日の偲ぶ会に参加できなかったと、夫が会社で親しかった人が、遠方から来てくれました。


お仏壇の前で、いちばんさいしょに、「○○、もう、いないんだなあ」って、おっしゃいました。


そのことばが、わたしん中で、いろんな意味で、繰り返します。


・・・普段、離れてる友人にとっては、まだいる感覚が、続いてるんだろうなあ


・・・わたしは、もういないんだなあ、って思ってるんかなあ


・・・でも、ほんとに、さみしそうだったから


あーあ、みんな、「あの約束どうなった?」って思ってること、いっぱいあるんだよう


そして、どっかで、いつも、「ごめんなさい」って思ってるわたしがいる。夫を愛する友人たちにたいしても、夫にたいしても、ごめんなさい、って思います。

2011年9月25日 (日)

元気になる

友人が、来てくれた。夫が亡くなって初めて会う。


どうやったら、元気になるんかなあ、て、何回かつぶやいてた。


いそいで、元気にならなあかんわけじゃないけど。


自分の知ってる人で、ご主人亡くした人とか、娘さん亡くした人が、今は元気やけど、どんな感じで、元気を取り戻したかなあ、って、いうから


そう見えても、ぜんぜん忘れてないと思うよ、って、言っちゃった。


それは、私が、夫を亡くしてから、なんども思ったこと。あの人の、あの笑顔や、あのたんたんとした姿のうしろに、どんなに涙や苦しさがあったことか、ぜんぜん分かってなかった。


でも、この気持ちを説明する気力はなくて
せっかく心配してくれてるのに、水さしたみたい。


ともだち、なくすなあーってこと、多い。しかも、それでもええわ、と思ってるとこがある。

2011年9月23日 (金)

じんわり泣く

よくもこんだけ泣いたなあ、と思うけど、最近、泣き方が違ってきたような気がする。


ゆっくり泣く。しずかに泣く。じんわり泣く。


できるなら胸んなか取り出して、かきむしりたい、もう狂う!ような、そんなこと、なくなってきたように思う。(また来たら、こわい、あれは苦しい)。


実際にはしなかったけど、包丁持ってるとき、指切っちゃおうか、とか、飲んでるビールの缶をどっかに投げつけたくなるとか、自分としてはオドロくような衝動があったことも、昔のことのように思う。


ようやく、まともに、悲しいんだなあって思えるような気がする。。ああ、おそいかもだけど、ほんとにそう思う。


小説や映画にあるみたいに、誰かに乗り移って帰ってくる想像とか、霊能者さんに話聞くとか、そういう気持ちが、いまは、ちょっと、わかる気がする。


2011年9月22日 (木)

ひとりじゃない

「ひとりじゃないよ」って、言ってくれる人がいる


うれしいけれど、ああ、やっぱり、
「ひとりなんやなあ」って、思う


心配して、気づかって、見守ってくれる人たちがいる


そういう人がいてくれる、って思うたびに、夫がどれぐらい特別な存在だったか、いまごろ、わかる


みんな、ほんとのところは、ひとりなんだ、って、思う


どうやって、ひとりで、やってくか、考える。それは、いやなことじゃない。

2011年9月21日 (水)

台風

きっとお天気のせいで、気持ちがざわざわする。


すごい風と雨が、家のまわり、ぐるぐる巻いてるの、窓から見てる


そんなにこわがりのわたしじゃないけど、きっと、夫は、仕事先から、「すごいなあ」とか、「そっちはだいじょうぶですか」とか、メールくれて


ズボンの裾、びちょぬれにして帰ってきて、家で、二人でほっとするんだろうと


ふっと、思ってしまったら、もう、あかん。


お天気の暗い日は、気をつけよう

2011年9月19日 (月)

ショック、iphone

昨晩、夫のiphoneを壊してしまいました。


写真とメールデータは、だいぶ前にバックアップしたつもりだけど、その確認しようと思って、ひさしぶりにパソコンにつないだら、OSの更新を長い間してなかったせいか・・・


「不明のエラー」。。もう、「○○(夫)のiphone」って表示もでなくなりました。


え?え?え?うそうそ。。。でも、いちおうバックアップはしてるし。。。解約するつもりだし。。。自分のせいだし。。。


しばらくして、急に、ウワーーーって泣けてきた。


とりあえずあきらめて、寝ようとしました。なんでか知らないけど、去年のお盆休みに、神戸帰ったときの、夫のすがたが、頭をグルグルしました。須磨海岸散歩して、駅前でホットドック食べて(夫だけ。これが散歩目的だったらしい)、穴子のお寿司買って、実家帰りました。なかなか、寝られませんでした。


今日、初期化から、やりなおしました。


また、急に、ウワーーーって泣きました。


もうムリもうムリ!って、生きてく自信ない!って、発作みたいで、しばらくしたら、おさまるけど、わたし、だいじょうぶか??


あ~あ、こんな機械が、夫のすべてでもなんでもないのに、ものすごい、悲しかった。わけがわかりません。
夫の愛用品は、もっとだいじなもんだって、まだまだあるやん。先が、思いやられます。


結局、夫のiphoneは、復活しました。

しのぶ会

この日、この時間で、ちょうど一年っていうのは、過ぎたけれど、あたり前だけど、なにが変わるわけでもないですね。


でも、いままで、なにかひとつ終えても、つぎは、あれ、これ、と、ずーっとずーっとハードルが続いていたなあ、一周忌と命日が、一周目さいごの大きいハードルでした。そんな気はします。


一昨日は、会社の同期の人が、偲ぶ会をしてくださいました。


夫が入社したときの上司だった方も、郊外のちっこいうちまで来てくださって、お線香をあげてくださって、その方の背中を見て、泣いてしまいました。


同期会みたく、すごいにぎやかな飲み会だったけど、さいごに、ひとりひとりが、夫の写真に語りかけてくださって、いっぱい泣いてしまいました。


こんなに、仲間がいて、素敵な先輩に愛されて


なんで、ぜんぶおいて、きゅうに、いなくなったの


人より早く亡くなって、ほんとに悲しんでくれる人も、いっしょに偲んでくれる人も、たくさんいるけど


やっぱり、いやだよ


2011年9月15日 (木)

一年

今日は、命日です。


昨日、友人が、夫の朝コーヒー用に豆送ったよ、ってメールくれました。宅配の人がくるかなあなんて、思いながら寝ました。


朝、目が覚めました。6時前でした。なんで目が覚めたのか分からなくて、玄関のチャイムを聞いた気がして、宅配のこと考えてたからかなあ…


もしかして、夫?


そんなわけないか、ピンポン鳴らすのもヘンか


見に行ってみよかと思ったけど、そんな自分にがっかりするかと思って、やめました


死別ブログ読んでても、命日に帰ってきたなんて見たことないし…


もしかして、帰ってきた人は秘密にしてて、ブログやめちゃった、とか…


□□□


一年後のイメージなんて、できずにきたけど、一年たちました


一年がんばろうって、思った。死ぬのも、ぜんぶ投げ出すのも、後からでも、できるから、って。


いまもヘナヘナで、なーんにも動いてないけど


そんときの思いだけを、考えたら、いちおう、がんばったように、思います。

2011年9月13日 (火)

去年、病院で。終

夫が、脳死と診断されたことを、3日前に書きました。脳死という言葉を、書いたのは、初めてです。避けていました。でも、ずっと、ずっと、ひきずっています。ネットや、本や、新聞で、目に入るたびに、胸が苦しくなります。


あのとき、どんな気持ちで、どんなやりとりがあったかは、まだ、正面から思い返すことができません。


でも、いま、思うこと、思いだして、グルグルしていることだけ、書いてみようと思います。私には、強い意識も、考えも、主張もありません。それでも、読まれると、不快に思われる方はいらっしゃると思います。


スルーしてください。


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ICUに入院することになった夫の担当医師は、3人でした。循環器の先生と内科の先生でした。


夫が倒れ、壮絶な状態で、一命を取り留め、お医者様にほんとうに感謝しました。こころから、しんけんに、祈りました。夫に、いっぱい話かけました。不安でいっぱいだったけれど、でも、信じていました。


でも、その日、緊張した雰囲気で、義母らと別室に通され、循環器の先生に、脳死といわれ、それがどんな状態であるか、CTの写真で説明を受けました。とても、とても、はっきりとした説明でした。


先生のことばは、聞こえているけれど、ワンワンワンと頭の中で反響するだけで、飲み込めませんでした。「主人のところに行ってもいいですか」とだけ、やっとの思いで、言いました。


夫は、昨日と、よくなってるって思ってたときと、なんにも、変わりませんでした。いっそう、わかりませんでした。


・・・いつの時点からか、死んでいたんだ・・・ひとばん中考えて、どこかでそう思いました。翌日は、夫に話しかけることができませんでした。ずっとずっと手を握ってただけでした。呼吸が止まり、脳に酸素がいかなくなった時間のせいです。わたしだけがいた時間です。


□□□


翌日、義兄が到着しました。


その日は、内科の先生が、同じことを説明しました。


最初の、循環器の先生の説明と、2回目の、内科の先生の説明の、両方を聞いたのは、私だけです。私は、まったく冷静な状態じゃなかったです。


植物状態の、とても悪い状態、という、ニュアンスに聞こえました。義兄には先生に質問できる余地さえあり、説明のあとに、「あれは、生きてる」と、義兄は、言いました。


同じ事実を、説明したことは分かっています。でも、お医者様の思想の、違いだと思います。そして、私も、異常反応したんだと思います。


ものすごく、ものすごく、混乱しました。なにも、考えられませんでした。循環器の先生にも、内科の先生にも、わたしは混乱してしまった、と訴えました。厳しくて、疑問の余地もなかったけれど、循環器の先生のことばのほうが、なんども、わたしを支えました。


さいごは、「夫の脳は、もうだめになってしまったけれど、細胞は生きてる」って、思っていました。


いま、なにを思い出しても、なにも変えることは、できないです。でも、やっぱり、いろんなことを、考えます。そのたびに、苦しいです。夫自身の気持ちが、もう聞けないからです。


どういう選択をしても、どういう意識で立ち合っても、家族の心には、両方に揺れる葛藤が、後悔が、あると思います。とても、苦しいと思います。ニュースを見るたびに、いつもそう思います。


去年、病院で。3

状態が悪くなったときの処置を、つまり延命の処置を、どこまでお願いするかを、決めなければなりませんでした。


今の状況が、夫に申し訳なくて、そして絶望していた私には、ありえませんでした。体温のある夫を前に、冷静すぎて、冷酷だと、亡くなったあとで、苦しみました。でも、ほんの少しでも、希望や、奇跡ののぞみがあったら・・・、もっと苦しんだと思います。


関西から、遅れて到着した義兄は、積極的な治療は希望しないけれど、死に目に会いたいから、急変しても、間にあうようにしてほしい、って主治医に言いました。そして、夫の家族は、いったん家に帰りました。


その翌日の夕方、血圧が急に下がって、義兄に、再び、急いで上京してもらいました。そのとき、お薬を強くしてもらった結果、それから、10日ほど、義兄と、義母は、病院の近くのホテルに泊まり続けることになりました。


私は、絶望していたはずなのに。。。毎日、奇跡を期待したり、急変をおそれたり、していました。


主治医には、なんども、すぐに連絡するから、って言われました。


でも、そうじゃなかったの、先生。


その瞬間、そばにいたい、と思っていたわけじゃなかった。ただ、できるかぎり長い時間、夫の近くにいたかった。「今日ぐらいから泊まったほうがいい」って、看護士さんが言ってくれたとき、もう残された時間が短いんだ、って思った。


明け方、5時すぎ、血圧が急に下がったので、ロビーに出て、義兄と義母に電話しました。看護士さんが呼びにきて、「私が連絡するから、そばにいてあげて」って言われました。急いで、病室に戻り、夫に、さいごにきいてもらおうって思っていた曲を、とりだして、イヤフォンを付けて、手をぎゅーと握りました。


病院から5分のところからでも、義兄は、間に合いませんでした。義兄が到着したとき、義兄も、私も、無言でした。それぐらい、急で、でも、とてもとても、静かでした。義母は、その夜、板橋の伯母宅にいたので、医師のさいごの診察は、義母の到着を待つことになりました。それが、書類上の亡くなった時間です。

2011年9月12日 (月)

去年、病院で。2

もう、1%の、それ以下の、のぞみさえない状態ってわかっていて、指先のリハビリをしたり、手足を洗ったりしました。


必死で祈り続けた3日間。夫の耳元で、語り続けた3日間。そのあとの、絶望。もう、祈ることもできない。


あとから来た夫の家族に、「まだ、生きてる!」「生きてる間にあえてよかった!」って、言われるのは、私への責め句にしか、聞こえませんでした。私が、なにもできなかった数分間で、夫を、こんな状態にしてしまいました。


そっから、夫に音楽を聴いてもらったり、夫の体温をさいごまで感じていたいって、思うまでには、まったく逆転の方向に気持ちをもっていくしかなかったけど


ナースの方たちが、いつも、意識がある人に対するように、話しかけ、丁寧に対応してくれるのをみていて、自然にそうできたのかも、しれないです。


家に帰って、せっせとタオルや寝間着の洗濯をして、なるべくフカフカで、気持ちのいいタオルを枕にしました。でも、どっかで、「いまさら、こんなことしたって、なんの罪滅ぼしにもならへんのに」って、思っていました。


主治医が、「奥さんが倒れたら、いけない、すぐに連絡するから、家に帰って休んでください」って言いました。


でも、一人のナースの方が、「もう、今日ぐらいから、24時間そばにいてあげても、いいかもしれません」って言ってくれました。


「冷たいようだけど、こういう状態の方を見ているから、もう、いつどうなるかが分からない状態です」って。


「こうやって、人生のさいごに、家族にそばにいてもらえるのは、わたしは、とても、いいことだなあって、思うんです」って。


主治医の言葉も、家族の心配も、無視して、パイプ椅子しかなかったけど、ずーっと病院にいた、2日目の明け方に、夫は亡くなりました。

2011年9月11日 (日)

去年、病院で。

去年、夫が、倒れてから、亡くなるまで、こんなに長い時間を過ごしたんかなあ、って思う。


夫は8月29日の朝、ベッド脇で倒れて、9月15日の明け方に亡くなりました。


でも、9月1日に、病院で、脳死と診断されました。


いまはまだ整理できない、書きつくせない。衝撃と自責。家族の気持ちの、すれ違い。
さいごは、夫の心臓が止まるまで、見守るだけの日々を、過ごしました。


主治医の先生には、もう何も聞こえてないし、痛いも苦しいもない、って言われてた。
それなのに、看護士さんが「音楽聴かせてあげてもいいですよ」って言ったとき、敵意さえ感じました。


でも、翌日、私は夫のipodを持ってって、夫のお気に入りのイヤフォンを、夫の左耳と私の右耳にはめて、二人でよく聴いた曲をかけた。脳は聴けなくても、夫の骨が、血が、細胞が、きっと何かを感じてくれてると思いました。


ずーと手を握ってたし、自分がベッドに頭をあずけて寝るときは、夫の手を自分の頭にのっけて、居眠りした。24時間面会の申請をしてから、ICUの点灯時間から消灯時間までほとんどずっと病室にいた。


お見舞いの人達が、「寝てるみたい、目さまして!」とか「がんばって!」とか言うの、ものすごく別世界のように見てた。私は、状況がわかってた。奇跡は0%だって、わかってた。


いっぱい泣いたけど、なぜか、ナースの人と談笑したりもしたなあ。


「どんな曲聴いてるんですか?」とか。


「○○さんって、どんなお仕事されてるんですか?」とか。


「恋愛結婚ですか~、いいな~」とか。


洗髪とか、手や足を洗うのとか、手伝わせてもらった。なんか、うれしかった。


私のせいで、こんな状態になって、ごめん、こんな状態を続けさせて、ごめん、って思う一方で、
ずうっと、このままで、いたいって思ってた。
このままでも、ふたりで、家に帰りたい、って思った。


あのときの、自分の精神状態、よくわからない。その瞬間、瞬間のことしか、考えないように、私自身が防御してたんでしょうか。でも、ナースの人達には、感謝しています。。

2011年9月 8日 (木)

義母の世界

一周忌法要後の会食のとき、夫のいとこ(おばちゃん)が、義母について辛口トークだった。
「自分が一番かわいそうやって言うてはるけどなーー」って。


なにと比べて一番かって、結局、つまり、「嫁より」ってことだよな。。


私、毎日泣いてますねん、お経もおぼえるぐらいあげてます、って。


でもね、私には、「嫁の心配してるいい姑」しはる。


どっちも中途半端なので、私は夫がいるときからいっつも義母の真意が分からず、ものすごいもってまわったイジワルなんじゃないかと、夫に訴えたこともあった。。。(一度じゃなく)。


夫が亡くなってまだ2週間ぐらいのとき、私が書類送ったり、会社に挨拶行ったって言うと、
「あなたは元気なのに、私は泣けて仕方がない。ごはんちゃんと食べてるのに、やせてしまう。」って、電話口で大泣きされた。


そのあとで義姉が、「ヘキサゴン見て爆笑してはったし、心配いらんで!」って言ってくれた。


納骨のこと、いろいろ考えているんだけど、義兄は急がなくていいよって言ってくれたけど、分骨壷が夫実家にもあるので、義母が落ち着かないだろうって思ってた。。。


でも、夫の友人たちに、
「うちにも分骨してもらって○○(夫)いてるし、うちにお参りにきてなー」って、言ってた。


わからん~~。

2011年9月 5日 (月)

一周忌法要

昨日、日帰り京都、一周忌法要、しました。おわりました。


数日前から、ワケの分からん状態でした。「どんなんでも終わる」って冷静だったり、不安でつぶれちゃいそうになったり。ふっと気がゆるむと、ちょうど去年の病院での様子思い出して、また狂い泣きしたり。
準備でウロウロ動いてたけど、それ以外は、ほかの波風を避けたくて、ずーっと、一人で深呼吸していました。


お寺では、深呼吸し続けたまま、挨拶したり、お焼香したりしました。たぶん、すごく無表情だった私。


ホテルへの移動の途中から、嗚咽がこらえきれなくなってしまい。。バスで隣に座ってた夫の伯母に「がまんして」って言われた。エントランスに立ったら、あまりにも10年前と同じ状態なので(弟も驚いてた)、クラクラした。


私達は、神社で結婚式して、お料理屋さんで親族のみの披露宴をしました。そのあと、このホテルで、友人、同僚のパーティをしました。親兄弟はパーティも出席したけど、親戚は、結婚パーティの会場だったなんて知らないから、私の様子は意味不明だったと思う。


あ~あ、ほんまに、しんどかった。。もうちょっと、だいじょうぶかと思ったけど、やっぱり、平気では、いられなかった。ちっとも。


でも、しばらくたえて、じっとしていたら、だんだん大丈夫になってきて、献杯でビール飲んで少しはリラックスもできたのか。なんとか、来てくださった全員の方と個別にもご挨拶して、お話することができました、たぶんにこやかに。


去年の葬儀より、自分のおかれている状態が分かってしまってるぶん、つらかったかなあ。
でも、どっちも、もういやだ。かんべんしてほしい。


ブログの世界にいると、まだ一年、悲しくても、つらくっても、あたりまえ、って思えるのに、
「もう一年、はやいねえ」っていうのが、全体の空気。
昨日は、ほんとに、私一人、ヘンな人みたいでした。
まあ、後半は、がんばって、ちゃんとできたと、思っておこう。


あ~あ、ほんまに、つかれた。終わってみると、たしかに、どんなんでも、終わったやん、って思う。


しんどかったけど、親戚やお友達とお話できたのは、よかったなあとは、思いました。義母と、ひろい気持ちで対話するのは、まだ、あかんかった。それはちょっと夫に申し訳ない。


今日は、脱力中。
まだほんとの一周じゃないしね。


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  • ウ525
    2010年9月46歳夫突然死。子どもなし一人暮し。なかなか元気でませんが、マイペースで生きてます。 twitterアカウント:usako88chan instagramアカウント:usako88
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