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2011年6月

2011年6月29日 (水)

ストレス耐性

とにかく弱い。ほんの少しのことで、わーーとパニックみたいになる。処理能力も、容量も、ものすごくギリギリな感じがする。


ゆっくり、呼吸。そんなときは深呼吸だってうまくできないけど、コントロールできないって自覚あるからこそ、気づきと、ゆっくりの呼吸で、なんとか穏やかな時間を増やしていったんだって、自分で思えるようになりたいです。


とはいえ、昨夜は電話で、また、ストレス負けした。


「わかるよー!」「わたしだって○○やもん!」の一方的な連発。「やっぱり、生きてるってありがたいことやな!」って言われたときは絶句した(正しいですが)。私の「ありがとうございます」も「すみません」も、違うかんじで受け止めてはって、気持ち伝わってないけど、まあ、ええわ…。


だまってたって伝わらないけど、なかなか伝わらないような気がするし、そんな自己主張する気力ない。。


気持ちのちょっとした行き違いなんて、あたりまえ。。ただの言葉。。吐く息とともに、流したい。そう言い聞かせても、頭がキンキンして寝られない。


自分がかなしいのは、とっても、いい人だっていうこと。楽しい時間は、私も好きって思える人。私のこと心配して、悪気なく言ってくれてるってこと。「??」の連続でも、感謝もいっぱいしてること。


気持ちが弱ってなかったら、ぜんぜんだいじょうぶなはずなのに。
ちょっとした「?」が、あとからあとから、徐々に効いてくる。


それでなくても、いっぱいいっぱいの私。いろんなとこにでっかい不安がいっぱいある。そんなよぶんなこと、ストレスにしたくない。。


お、そうきたか。そんなふうに思いはるねんな。


って、違いを楽しめるぐらいになりたいなあ。。マシンガントーク相手でも。。

2011年6月28日 (火)

わたしがすきそうなもの

夫が「○○ちゃん(私)好きそうやと思うねん」って言ってくれるの、大好きだった


私が、いないところで、「私と一緒にこよう」「私に教えよう」って
私が喜ぶ顔を、思い浮かべてくれてんじゃないかと思って、ほっこりする
それが、接待で行ったお店だったりもして、妙にうれしい・・・


そういう夫情報は、いつもばっちりで、「ほんとに好きだーー」と思った


夫がテレビで見て、教えてくれた、ハンドメイドソープのお店で買った、ソープディッシュを見ると、
二人で、せっけんクンクンして選んで、また来よう!って言ってたこと、思い出す。


わたしも、まだまだ伝えたいことがいっぱいあるねんけど
どうしましょう


いろいろ、思い浮かべて、あれこれ、考えてはみるけど
夫のやさしさも、笑顔も、かわいい様子も、とってもリアルで、あったかいんだけど


さいごは、説明のつかないさみしさで、しょぼん、となります

2011年6月25日 (土)

瞑想

『天国や浄土の住所を知りたいですか? いまからその住所を書きます。「いまここ」。これがその住所です。いまこの瞬間にしか、それはありません。だから私はいつも天国にいるのです。みなさんのなかに天国は存在します。仏教でいう悟りとは、天国があなたの中にあると気づくことです。』


ベトナム出身の禅僧、詩人、平和活動家のティク・ナット・ハン師の法話の一部です。(サンガジャパンに掲載された松下弓月さんの「遥かなるプラムヴィレッジ」からの引用です)。


心はいつも過去のことを考えていて、過去の失敗や後悔の苦しみに閉じ込められている。苦しみと悲しみでいっぱいの過去を手放して、どこかに行ってしまった心をこの瞬間に戻すこと。


□□□


私は毎日、瞑想しようとしています。座って、呼吸に集中しようとするだけです。気持ちはいつも雑念でいっぱいで、どうもうまくいきません。それでも、お線香をたいて、お仏壇にむかっている時間だけは、じっとしています。


だれかの心ない一言、傷ついたこと。それにひっかかってる自分。自己嫌悪。だれかがこんなふうに思ってるんじゃないかっていう妄想。将来の不安。そういう過去・未来には、とらわれなければ、「いま」はおだやかだ、と思えるように、なりました。それを実感できるようになりたいです。


でも、心が乱れて、胸がつまってるときは、むずかしい。息があさい、体がフラフラする、頭が痛いと、いまここに集中するどころか、ますます、あることないこと考えます。世の中にイヤなことが増えます。お線香の時間もがまんできないけど、とりあえず、座っています。


夫のことは、過去? 


でも、この過去は必要です。夫がくれた過去が、きっと私を支えてくれます(今はそれ以上にヨロヨロで、すまないです)。でも、その過去で、今の私は、泣いたり、苦しんだりもしています。そして、それを忘れることをコワイとも思っています。


ティク・ナット・ハン師の本を、本屋さんで立ち読みしてから、少し、気持ちが変わりました。


悲しい。さみしい。
息をはきながら、悲しいよなあ、さみしいよなあ、って自分に言います。


お線香あげてるときだけは、そうやって、過ごします。

2011年6月22日 (水)

湿地帯

ウツ状態って、いろんなことの連鎖反応でやってくるって、よく分かった。
夫の誕生日、月命日と、だましだまし過ごしてたけど
ちょっとストレスフルな事務作業で、頭と気使って、取り越し苦労した
あっという間に、どんどん深みにはまってしまった。ひきつけ起こすかと思うほど、泣いた。


湿地帯、歩いてる感じ
ときどき、歩きやすいとこがあるけど、じつはまだ、ズブズブをおそるおそる歩いてて
雨が降って、流されちゃったり、ちょっと押されたりすると、ドブンとはまる。


助けにきてくれるなら、夫じゃなかったら、いやだし
夫に会えなくたって、消えてしまえるなら、このまま沈んでしまいたい
でも、誰かが、助けようとしてくれてることも、分かってるような


□□□


「だんなさんに、はじめて会ったとき、この人と結婚するって思った?」って、聞かれたこと、何回かある。


ううん(否定)って答えた。夫と会ったときの、第一印象は「ホームステイしてたおうちの息子に似てる」だった。その人のこと、好きだったわけじゃない(会話通じなかったし、だいぶ年上だったし、彼の婚約者も大好きだった)。でも、それは、すごく好印象だったんだな、っていまは思う。


夫も、私も、ものすごく情熱的に、出会って、結婚したわけじゃない。(と、思う)。


結婚って、お互いに結婚したいってタイミングが合わないと、だめなんだよね、って、
結婚願望強い子に相談されたら、いえちゃうぐらい。


でも、それなりに、ドキドキワクワクはあって、それなりに、初々しかったけど。


そんなんだから、前世の縁、だとか、二人は必ずまた会える、とか、そういう、情熱的な、運命的なもんに、頼りきれないとこが、ある。


でも、私は、ずーっと、しかも、だんだんと強く、私は幸せだなあ、と思っていたし、親兄弟よりも、だれよりも、安心できて、自然でいられて、いっしょにいたい人だった。


だから、ほんとにいないと、だめ、困る。


夫のこと、助けられなかったこと、いつも自分をゆるすことができないけど、でも、夫が私のこと大好きだって思ってくれて、彼が、それを言葉にしてくれたこと、それはたしかだとも、思ってる。


必ず会える、いつも近くにいてくれるって、思えないと、だめなんだろうなあ、、、と思います。


2011年6月19日 (日)

病んでる

税理士さんと打合せ。途中から冷や汗と息苦しさが強くなって、弟がいてくれるのをいいことに、頭がボンヤリしたまま座ってた。なんにも私にプレッシャーな打合せじゃなく、しかも、たんたんと、なるようになる、やらないとしかたない、それだけのことなのに。


今日は、不足してた書類を探すためにファイルをひっぱりだした。夫の字が書かれた書類。直後にフラフラで私が手続きした書類。あんときの自分に引き戻される。


結局、お金のこと。これはこうだ、とバッチリ決まることならいいんだけど、こう解釈すればこうなる、なことが多くて、しかも、私が解釈するわけじゃないのに、聞いてるだけで疲れてしまって、しょうじき、どうだっていい、って投げ出してしまいたくなる。


でも、夫が私のためにしてくれてたこと。夫ががんばって働いた。夫の夢もつまってた。いまだって、ぜんぶ夫のおかげで、過ごしてる。


あまりの自分の情けなさに泣く。わけが、わからん。


病んでる。

2011年6月17日 (金)

東京駅

神戸から出張できた友人に会うために東京駅へ。大手町から丸の内歩く。夫とも数えるほどしか歩いてないまちだけど、人波のせいか、気持ちがザワザワした。サラリーマンがいっぱいいると、なんで夫がいないのかと思ってしまうし、普通にそれに紛れてた自分のことも思い出す。これからの自分のことも。


不安だったけど、やさしい笑顔の友達に会って、ビール飲んで、笑って、楽しく過ごせた。


彼女の友人で、私も面識のある同い年の人、悪性の腫瘍が見つかったそう。以前の私と違って、同情や、気の毒だという気持ちはなく、なんで?とむなしい。どんなことばも見つからない。ただ、深いところに沈む。彼女がなるべく安穏に過ごせますように。どうかこれからも楽しい生活が続きますように。


新幹線の改札で手を振って、一人になったら、また胸が苦しくなって、サラリーマンの人波にまぎれて、じめじめした。


ただ、今日、すごく感じたこと。直前直後に涙ぐんでも、友達がいてくれることで楽しく過ごせた。泣いた→人前では普通に過ごした→帰りまた泣いた。形は同じだけど、でも今日は、がんばって出掛けて無理して笑ったんじゃない。一人になりたい、って思ったわけじゃない。明日は、きっと、寝込まない。


まだ、誰とも話したくない、一人になりたいときも、いっぱいあると思うけど。
あきらめとか、無感情のかたまりだったけど、少しは、人に会いたい自分も、まだあったみたい。


いままでつきあってくれた、我慢強い人たちに。なんとか、過ごしてきた私に。いまも私を支えてくれてる夫に。9ヶ月分の感謝。

2011年6月15日 (水)

記憶

夫がずいぶん前に担当だった取引先の方で、毎月命日にお供えをおくってくださる方がいます。最初、「手紙つけようと思ったけど、書けしません、お供えしてください」って泣きながら電話がかかってきた。おくってくださったのは、小豆を寒天で寄せた和菓子で、食欲がなくて洋菓子もおまんじゅうもほとんど食べられなかったけど、そのお菓子は一つずつお下がりをいただいた。夫が「これなら食べられるでしょ」って言ってくれてる気がした。


半年たって、3月は和菓子じゃなくて、日本酒をおくってくださった。電話で、そのときは明るく「さみしいですやろ」って言ってくださって、私がお酒好きなこともばれてしまった。


それからは、焼酎をおくってくださっています。今日も、お供え。ほんとに感謝しています。
最初は人に心配されるほど食べずに飲んでばかりだったけど、今ならだいじょうぶ。おいしいなって味わっています。


□□□


夏物のパジャマを出した。「救急車が来たとき、これ着てたんじゃ」って思った。たぶんそうだけど、もう着れないってしまいこんで、実は違うのだったらバカらしいし、あまり深く考えずに着ようと思う。


倒れて、お医者様に頼まれて、夫の過去の心電図データを取りに、会社まで行ったときに着てたブラウスを、なぜかはっきり覚えていて、しかもその日の夕方に病院で命の宣告をされた。たぶん、その日・・・。だけど、着る服もそれほどないから、昨日着て、でかけた。


亡くなった日に着てた服は、ちっとも覚えてない。それでよかった。


モノに思い出がからまりついて、いちいちいろいろ考えてしまう。
記憶力、想像力って、やっかいだけど・・・
でも、あって、ほんとによかった。

2011年6月13日 (月)

ゴソゴソ

週末、かなりしんどくて、今日はウダウダと過ごしました。


今までなら、こんな日は一日中ほとんど病人のように過ごしていたけど、今日は、家から出なかったとはいえ、午後は「ふきそうじしよ・・・」と思い立ち、ゴソゴソ。それなりに、進化しています。


休日のお留守番、夫はゴルフ帰り、「○○ちゃん、今日なにしてたん?」って電話くれて、よく「ゴソゴソ・・・」って言ってたなあ。うん、今日はゴソゴソしました。


こんなことで働けるのか。
仕事を探すってことは、
知らない人に出会い、新しい人間関係にあしを踏みいれたい、っていうこと。
求人貼り紙の「明るくて、やる気のある人、求ム」。・・・。資格なしです。
やる気なくて、頭もボンヤリしてる自分が、社会のお荷物なような気がします。
でも、自分で満足するほど、明るくて、やる気のある人には、いつまでも、なれそうにないし、そのフリができることが一歩なのでしょう。
それが、勉強でも、時短のパートでも、とにかく、知らないとこに出てかなければ、ならんのでしょう。


今日は税理士さんから電話がありました。
相続も、納骨も、これからです。私は、分骨してほしいと考えていますが、モヤモヤしています。
いっこいっこ、淡々と進めていくしかない、って分かっているけど、
いよいよ、そろそろ、と具体的になってくると、
瞑想、ままならない。

2011年6月11日 (土)

誕生日

今日は、夫の47回目の誕生日。


11月の結婚記念日、3月の私の誕生日。それから世間共通のいろんなイベント、どうにか過ごしてきたつもりだったけど、昨日、今日、ひどくしんどかったです。


ずーっと、ものすごく低いところで波打っていたから、落差がいまよりは少なかったのでしょうか。とにかく、今回はきつかったです。


夫の誕生日は、毎年、私にとっては、夫に具体的にプレゼントできる、気持ちをカタチにできる、唯一の日でした。


お気楽パート主婦の私は、お買いものしても夫に買ってもらって、お食事は夫に連れていってもらっていました。夫の誕生日だけは、夫がほしいものをがんばって買って、前後の休日にはちょっと張り込んだお店で食事していました。


いっつもいっつも夫におんぶにだっこの私は、ここしかない、一日でした。


去年は、ボディバッグを買って、夫の好みが案外むずかしくて、いろんなところでながーい時間かけて選びました。それをものすごく気にいって使ってくれていて、倒れた日にも、その中からお財布やカードケースを出すとき、ほんとにつらかった。形見分けのときも、このバッグは私が使いたいと思った。まだ使えないので、大切にしまってあります。


今日、どうやって過ごしたらいいか分からなくて、ケーキを買いに行きました。帰りみち、泣きながら歩いていたら、前に乗ってたのと同じ型の車、しかもナンバー極似、が通りました。


偶然とは思えない。夫がなぐさめてくれたのかな。今の車「夫号」が、呼び寄せてくれたのかな。


今日、私がつらいだろうと、弟夫婦が心配して、お昼間呼び出してくれました。


ほんとに、うれしかったデス。


2011年6月 8日 (水)

髪をきった

カットとカラー、ようやく、しました。
軽くなった・・・


なんで、こんなことが、ずっとずっとできなかったんだろ。


なにをする気にもなれなかった
自分のことなんてどうでもよかった、きれいにするなんてとんでもなかった
誰かと話すのもしんどかった
きれいになりたい人のための、サロンの雰囲気に抵抗があった
幸せなノーテンキな自分を思い出して、いまを再確認するのも、いやだった
夫が知ってる、夫を知ってる髪を、さわりたくなかった、変わりたくなかった


いろいろあるな。


めんどくさい、からじゃないよ。


私が、お料理してないって言ったら、「わかるーっ、一人分って料理する気になれへんもんね」って言った人いたからね。あげくに「私もパパも子供もいないとき、料理する気せえへんもん!」って、言ったからね。


わたしも、ごはん作るの、忙しいとき美容室に行くの、たしかに「めんどくさい」って思ったことあったけどね。「めんどくさい」って、ある程度は満たされたときしか、出てこない感覚なのかもね。


でも、他人から見たら、結局、同じことなのかな。


ようやく、髪の毛が軽くなったからなのか。


帰り路からずっと、なにをしても、なにをみても、涙が出てしかたがありません。

2011年6月 7日 (火)

自分にレッテル

私はこんなんだからダメなんだ、はグルグル発生する。私は、もともと劣等感が強い。私は、もともと堂々巡りに考えすぎる。


気持ちが弱ってる。夫が、たった一人の、そのままの私を好きでいてくれる人、私のこと無条件で味方してくれる人、私を全力で守ってくれる人、そんなたった一人だったことを、思い知らされる。自分が好きじゃない部分もひっくるめて、誰かに好きでいてもらえることの、あったかさや安心感ってものすごい。


いつだったか、どうにも気力がわかず、だるくて、ベッドから起き出せなくて。
頭んなかは、後悔や自責や、自己嫌悪やらでいっぱいで。
「私は情けないうえに、なまけもの」って、ますます落ち込んた。


それをポロリとカウンセリングで話したら、
「自分に悪いレッテルを貼るのはいけませんよ」
って言われた。


その言葉がスローガンみたいになった。いつだって、いろんな思いにとらわれるけど、「あ、悪いレッテル貼ってる」ってことだけは、気づけるようになったと思う。


私は、謙虚 (←劣等感が強い)。
私は、とても思慮深い (←堂々巡りに考えすぎる)。


毎日、瞑想のはじめに、私が私自身を好きになれるよう、他のみんなが幸せになるよう、唱えています。


2011年6月 4日 (土)

お大根をたいたん

3月に植えた大根がものすごく育っています。最近、大根ばっかり食べています。あんなちっちゃいタネから、芽が出てふくらんで、こんなんなったんが、すごいです。


4月半ばからまた中断していた料理。ほおっておいたら、またできるようになるわ、と気分のままにしておいたけど、畑の野菜のおかげです。


とはいえ、食材揃えたり、新しいレシピに挑戦するなんてことはなく、適当にあるもんで、食べられたらええわ。


今日は、豚肉とアジア風甘辛に煮込んでみました。


これが、まあまあ美味しくできちゃうねんなあ。。


私はけっこういい年で結婚しました、一人暮らしの経験もありました、食べることは大好きでした。なのに、あんまりお料理に興味がありませんでした。


夫は、出会ったころ、私のこと、なんでも食べる、いっぱい食べるのが好きだとよく言ってくれてました。


結婚して最初、食べるの大好き、料理も大好きな夫に、おいしいって食べてもらうため、料理本、見ながらいろんなごはん作りました。夫好きの味付けもだんだんわかってくるし、私が作ったもんも美味しいって言ってもらえるようになって、二人の食卓は二人の世界やなあ~と思いました。


夫にはやっぱりちゃんとおいしいって言ってもらいたかったので、あんまり冒険はせず、初めての場合はレシピ見たり、味付けも想像できる範囲で、楽しかったから食材もいろいろ買って。少量を種類いっぱい食べたほうがいいって思ってたし。


いま、あるもんで適当に、ぐじゃぐじゃと作って、わりとおいしいやん、って思ったりすると、
お昼なんかに、もっと適当にチャーハンとか作ってあげたらよかったなあ、とか。思います。
でも、そんなぐじゃぐじゃな料理を、おいしいやんって思えることも、
夫のためにごはん作ってた賜物です。夫のおかげです。


お大根とおあげさんたいたん、はまだちょっと無理かなあ、と躊躇しています。夫が好きだったから、お供えできたらいいんだけど。


2011年6月 2日 (木)

二重人格

頂いたコメントの「二重人格みたい」ってことばをみて、ほんと、バラバラな私、いっこの私なのかな、って思っています。


理性の私は、夫が倒れたことも、亡くなるって言われたことも、亡くなったことも、そして戻ってこないことも、分かっていました。私がどうやら生きてかないといけないことも。生きてくなら、仕事や将来のこと考えたり、やりたいことが増えたほうがいいことも。それは夫への思いと矛盾するものじゃないことも。


でも、とても同じ人とは思えないぐらい、非現実的な、ワガママな思いが、あるのもほんとです。


いやいや、まだあきらめたらだめだよ。私があきらめたらだめだ。
おいてったらやだ。
夫が、もう鰻食べられないなんて、ありえない。


いろんな気持ちが、とつぜん、しんけんに。
ちょっとずつ、変化してるけど、いまも、まじめに、だだをこねます(←理性の私から見て)。


フワフワと、
朝、目覚めると、必ず、がっかりして。
メールが入るはずがない夫の携帯を毎日触って、夫からのメッセージを待ってみたり。
お風呂に入るたびに、のぞいてくれないか、期待してたり。


日ニチとともに、心の穏やかな日、誰かといっしょにいるとき、理性の私がちゃんといます。理性の私の登場時間が増えてるのかな。理性の保てるときは、特に。。。


でも、人格の割合は、あんまり変わってないような気もします。


うううー。

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  • ウ525
    2010年9月46歳夫突然死。子どもなし一人暮し。なかなか元気でませんが、マイペースで生きてます。 twitterアカウント:usako88chan instagramアカウント:usako88
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