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2011年5月

2011年5月31日 (火)

祈る

友達が、来月入院、手術することになった。命には関わらないけれど、深刻な病気みたい。本人の不安はどれほどかと思う。


夫が亡くなって、命ってほんとに、突然にあっけなくて、いつどうなるか分からないものだって思ってる。
私自身は、今自分がどうなってもいいって、正直、思ってる。


でも、友達が病・・・って聞いて、ひどく心が苦しい。
なんで、こんな罰あたりで投げやりなこと考えてる私じゃなくて?って思う、けして口に出しては言えないけれど。


みんな、誰だって、苦しいことやしんどいこと、悲しいこと、抱えてるのかもしれないけど。
ほとんど大部分の人は能天気で、楽しそうに見える、なんでなんで?と思ってしまう。


お仏壇で手を合わしていたら、思わず、「○○の手術がうまくいきますように、よくなりますように」と祈ってしまってた。


なにに祈ってるのか、わからない。


年齢も、仕事も、それまでの努力も、どんな大切な家族や仲間がいるかも、なんにも関係なく、
こんなに不平等に、理由もなく、病気や、死や、別れが、やってくるのが生きることなんだったら、
もう少し、心も強く図太く作ってくれればよかったのに。
神様は、なんで、こんなに苦しむように人間を作ったんだろ。


大好きだとか、幸せだとか、思う感情の、副産物なのかな。


どうかどうか、穏やかに過ぎていきますように。


2011年5月29日 (日)

1年点検

夫号。水洗いだけど洗車してから急に愛車精神がわいて、外に出ると、「○○くん号」と心の中で呼びかけて、毎度、無事を確認しています。


夫号の車内は、夫が乗ってたままに近い状態で、いろんなものがそのままにおいてあるので、安心できるのか、切ないのか。よくわかりません。


車の運転って、ほんとはすごく注意力や集中力が必要なはずなのに、一番考えごとしてしまう。音楽を聴くのが苦手になってしまって、今は無音で運転してるので、妄想の渦だし、急に泣くことも多い。


車検後一年点検に出してきました。オイル類の交換で思ったよりも整備費の見積もりが高額だった。そろそろブレーキパッドもやばいらしい。


なにより、走行履歴みると、走行距離がずいぶん落ちてるので、バッテリを充電面からみると供給不足になっちゃってたらしい。


もし、FPさんとかにかかったら、車、手放しましょう、って言われるの、確実だなあ。。と思いつつ。


夫も、こんな私に苦笑してるんじゃないかとも思うんだけど。昔から、あんまり計画性なくて、行き当たりばったりで、世間的にカシコク生きてきた人じゃないからなあ、私。夫がぜんぶ安心感に代えて、ノビノビさせてくれてたんだよ。


たいせつな夫号。かわいいやつなのだ。しゃべってくれないかな。。


2011年5月27日 (金)

時間がかかるね

「時がたつのを待つしかない」「日にちぐすり」って言われるのが、すごくいやだった。時間さえ待てば、自然に元気になって、かならず立ち直るよ、って言われてるようで。


夫がいなくなったことが、よく飲み込めず、そんな状況認めたくないし、どの命も不確かだ、自分だって(すぐにでも)死ぬかもしれない、ってことでしか、自分を保てなかったから。なのに、「私はだいじょうぶ」「やることやんなきゃ」ってせいいっぱいだったとき。


でも、昨日、「時間がかかるね」って言われたときは、なんでか素直に聞くことができて、うん、ゆっくりでいいよね、って思えた。私はあんまりだいじょうぶじゃなかったし、できることだけやろう、と今は思ってる。


日ニチぐすりって言葉は、私は、やっぱり好きじゃない。誰が言い出したんやろ。そうだな~って思える日がいつか来るのかな。でも、私はつらい気持ちの人に、言いたくない。


必要なのは時間だけじゃないけど、時間は、やっぱりかかるし、時間を、かけたらいいのかもしれない。


今日、報道ステーションで、7年前にイラクで亡くなった戦場カメラマンの橋田信介さんの奥さまの幸子さんが、橋田さんが襲撃された場所に行かれたところを取材してた。私は読んでた雑誌の橋田さんの連載が好きで、亡くなったときすごい衝撃だったけど、今日は、ご主人を亡くされた方、って見方も加わって、はじまりからずっと涙。


かっこいい奥さまだなあ。素敵なご夫婦だ、いまも。


2011年5月25日 (水)

なるようになる

『人に、期待しない。でも、感謝する。』
『なるようなる。なるようにしかならない。』


って、最近、言い聞かせています。どうにか、どうにか、心を落ち着けるように。


□□□


昨日は、夫の会社の後輩の方たちと会いました。私と同年代の人たちで、夫の若いころの話をいろいろ聞かせてくれました。


たぶん、夫的にいうと、独身貴族謳歌してるすごーく楽しかったころ。


後輩に慕われて、女子にも人気あって、キラリと光る言葉をかけたり、なんか、夫はすげー人なのだ(そういうこと話してくれる人たちだから、昨日、集まってくれたんだけど)。休日にはバーベキュー大会したり、バンドライブしたり、会社も若者達は盛り上がってたようす。夫と後輩さんと飲むと、よくそういう思い出話してたので、うんうん、知ってる、って話もあった。


昨日は、お酒ちょっと飲みすぎちゃったけど、楽しかった。夫の話もいっぱいできて、おもしろかった。「よく食いますねー」とか言われたし、うん、私も元気だ、と我ながら思った。


今日、どぶんとしんどい。同じような飲み会に私がまぜてもらうときは、必ず(当たり前だけど)夫がいた。


私はついてけないテンポのいいノリの会話で、夫の武勇伝みたいなの聞かせてもらって、「こんな地味な嫁ですまぬ」と、ちょこっとしたヒガミ気分もあった。でも、家に帰ると、私大好き!な夫に戻ってくれるから、ヒガミ気分より、夫自慢な気持ちのが、勝った。夫、すげーなあって私が思うと、夫はうれしいし。


でも、今日は、夫自慢な気持ちが、ヒガミ気分に負けてる。今の私は、もっともっと「地味で、暗い嫁」。


みんなバリバリ仕事して、おつかれーって乾杯して、会社の話もチラホラ。私、なにしてるんだ・・・私、どうなるんだ・・・。『なるようになる』って、あんなに言い聞かせてるのに。


うん、なるようになる。なるようにしかならん。


2011年5月24日 (火)

夫くん、いま、どうしてますか


お気に入りのもの、行きたかったとこ、食べたかったもの、いっぱいあった。一生懸命がんばったお仕事、私との楽しい生活、将来の計画、ぜんぶ突然おいてった。夫は、悲しいかな。


私、勝手に、夫の分まで、途中だった!!って思っちゃうからな
夫の、ほんとの気持ちなんて、わかんないくせに
自分以外の、ほんとの気持ちなんて、ぜったい分からないって、さんざん実感してるのに


夫は、大好きなものも、したかったことも、ぜんぶを、いっこもなくすことなく、ワクワクしたままで、充実したこころのままで、
今は、自由に、解放されているかな


こっちに、いやなことなんてないよーって、私を待ってくれているかな


それでも、私はさみしくて、悲しくて、「なんでなんでなんで」って現実逃避して、泣くんだけど。
夫の、もてなかった未来を、勝手にくやしがって泣くのは、私には無理なことだよね。


。。。


今日も、そんなこと考えて、気がつくと、歯をくいしばってたよ。
体に力入って、自分に言い聞かせないと、簡単には、できないのだ。


2011年5月21日 (土)

首都高

関西から友人が来てくれて、今日は、二子玉川に行きました。そのあと、羽田空港まで一緒にバスで行きました。二子玉川も、羽田空港も、夫と一緒に見た景色が、どんどん変化しています。どちらも、夫はオープンを楽しみにしていました。


羽田空港までバスで行ったのは初めて。バス停で見送るか迷ったのだけど、「行ってみようかな」って思いました。


首都高入って、レインボーブリッジわたる。


阪神高速なら、子供のころから自分で運転するまで、色々、他の誰かとの思い出もある。
でも、私の短い東京の記憶は、ほとんど、ぜんぶ、夫。


気持ちの引き出しを開けたくなくて、開けるのが恐くて、いままでぜんぶカチカチに固まっていたけど、
最近、ちょっとずつ、「開けてみようかな」って、思えるときがある。


夫が大好きだった中華料理のランチも、母が来てくれたとき、行ってみた。


今日は、羽田空港。友達がいっしょだから。友達にはそんなこと言わないし、彼女はバスからの景色見て普通にしゃべっていたけど、私にとっては、ちょっとした、一歩だった。


引き出しの中にあるのは、二人でなんやらかんやら言いながら、おいしく食べた光景、私がお手洗いに行ってる間に、私の分も杏仁豆腐頼んでくれてた夫。首都高乗って私に一生懸命景色を説明する、運転が大好きな夫。私が唯一、とっても安心して、とっても楽しめる、夫とのドライブ。


引き出しは、まだまだ、いっぱい、いっぱい、ある。


2011年5月17日 (火)

時間

夫が入院してるとき、義兄に「時間、戻りたい」って言ってしまったら、「でも、また、こんな悲しい思い、せなあかんかもしれへんで」って、義兄は言った。


やっぱり、わたしが、あのとき、こうやって、こうして、こんなことに気をつけていたら、って思う。そのうえで、おなじように悲しい思いせなあかんかったんやったら、納得できたでしょうか。それでも、やっぱり、ちがう後悔が襲ってくるんでしょうか。


時間を戻してほしいというより、夫を元にもどしてほしい。わたしはいいから、夫に生きててほしい。なにもいらないから。


あんまり、あっけなく、夫の人生が急転回してしまったので


もしかして、どっかで、あの生活がちゃんと続いていたりして、その世界に戻れる入口が、案外あっけなく簡単に、案外近くに、あるんじゃないかと、思ってしまうときが、あります。

2011年5月16日 (月)

てんぷら好き

八回目の月命日。時間の流れって、すごく不思議な気持ちがする。もう八ヶ月とも思うし、まだ八ヶ月とも思う。ほんとにそう思う。それでも、私がこれまで何気なく過ごしてきた時間よりは、ずいぶん進むのが遅い。
最初の3、4ヶ月、いつぐらいかまでは、異常に、日ニチが進まなかった。とても、とても、長かった。


お寺にお参りに行った。夫の伯母がつきあってくれたので、銀座で食事した。


少し時間があったので、デパ地下行って、伯母の案内で各地の名品のところ行ったら、あるわあるわ、夫のお気に入り。転勤族の夫は、各地に、コレ買う!食べる!っていうのがあった。


広島の尾道の桂馬蒲鉾、ちっちゃい詰合せ買った。「えっ買ってくれんのん?」って言うの、聞きたいなあ。夫のお給料で買わせていただいてますのに、っていっつも思ってた。「柿天」お供えしました。大好きな黒船どら焼きと連続で、豪華お供えです(食べてほしい、秘密にするから)。


ちょっと贅沢な食事を、残さずペロッと、ちゃんと美味しく、いただいたし。
夫の好きなの、いっぱい見つけて、伯母といろいろ話したし。
伯母から、ちっちゃい時の夫の話聞くのは、ちょっとうれしかったりもするし。


八寸頂きながら、「これなんだろ?」って思ったとき、夫に聞きたいクセが出る。
車の流れ見ると、二人で通り抜けた、時間が戻ってくる。
ずうっとずうっと、なにかしら、姿が浮かんでくる。


それでも、えらく普通に、過ごせるようになった。
伯母は、すごく元気そうだよって、義母に報告してくれることでしょう。
こうやって、こんな時間が、増えていくんかな。

2011年5月14日 (土)

日焼けあと

畑で、ダイコン第一号を、収穫しました。引っこ抜いた甥も「ちゃんとできてる!」ってすごいうれしそう。私はレタスの外側の葉を持って帰りました。先月の半ばからまた料理してなかったけど、1ヶ月ぶり、レタスチャーハン作りました。自作野菜は、キッズにも、私にも、なんかいいみたい。


帰って着替えたら、頭皮と首が日焼けしてた。化粧水びちゃびちゃ塗って、ずっと使ってなかった美容クリームつけた。手遅れだけど。


□□□


夫と最後になってしまったプーケット旅行で、私は日焼け大失敗した。脚に水ぶくれができて、ひどいまだら模様になった。帰国して3日目に夫が倒れて、病院では水ぶくれが痛いことも、ヒリヒリした覚えもないけど、いつの間にか夏が終わって、だんだんおさまって、心配してくれた夫に見せたくて、しようがなかった。まだら模様は、ずいぶん薄れてしまったけど、まだ残ってる。


プーケットで、インド洋のきれいなビーチがうれしくって、日焼け止め塗ったけど、パラソルの下で本格的に昼寝してしまい、そのあと、プールで泳いだのがいけなかったのか、現地調達したアフターサンローションが合わなかったのか、両脚のむこうずねがどんどん赤くなって、ピリピリして、熱を持って痛くなった。


赤黒く変色して、見るからにヘンで、帰国した翌日、夫が皮膚科に連れて行ってくれた。「これは火傷だよ」って飲み薬と塗り薬を処方された。


その次の日、クスリ塗って包帯巻いて、夜、神宮球場に野球を見に行った。


球場からの帰りの混みあう電車の中、夫はなにも言わず、私の前に入ってくれてた。他の人の荷物なんかが脚にあたらないように。ほんとにやさしい人やな、頼もしいな、夫といっしょにいられて、うれしいなあって、あらためて、素直に思った。


それが、夫との最後の夜。あのとき、口に出して、ちゃんと、言えばよかった。


また、ずっと、いっしょにいたい。


2011年5月13日 (金)

前に進む、ってこと

ようやく、少し落ち着いた気持ち。瞑想のとき、よくわかります。


ウジウジグルグルの自分はやっぱりいるんだけど、少し気持ちが穏やかなときは、ちょっと客観的なもう一人の自分が登場して、「自分の自然でいいよ」「今できることをしたらいいよ」「あせらんでいいよ」って言ってくれるような、気がします。


□□□


「回復する」「受け入れる」「乗り越える」「立ち直る」「立て直す」「前を向く」「わたしに戻る」「前みたいに元気になる」
いろんな言葉が、あるけど。どんな言葉でも、いいんだけど。


やさしい笑顔になりたいなあ、なんて思った夜。やさしくなれても、笑顔になれても、耐えても、がんばっても・・・、夫には会えない。。脱力。


私、「進みたい」って、思えてないんだ、って、気づきました。


苦しいのはつらいし、体調に出るのもしんどくて、ジタバタしてるんだけど。


この場所から、一人で歩くイメージできず、歩きたいと思えず、でも、歩くしかないとも分かっているんだけど。きっと、歩くんだろうってことも、分かってるんだけど。


きっと、自然に、歩くんだろう自分を、待てばいいと思ってる。とても、消極的に。


私が元気にならなくても、すごく困る人は、だれもいないし。
そんな自分を嫌悪しちゃうけど。


元気になりたい、って思えてないんだから、そりゃ、なかなか、一歩も踏み出せないし、元気にならないです。


□□□


スーパーのレジに並んでると、わたしこんな贅沢していいのか、って思う。
夫が買ってくれた、家にあるすべてのものを見て、わたし、これに値しない、って思う。
人のやさしさが、わたしには、もったいない、って思う。


それでも、罪悪感のカタマリからは、少し、脱した。


夫が入院中や亡くなった直後は、トイレに行く「生きてる」自分に、毎回、呆れて嫌悪していました。

2011年5月12日 (木)

自律訓練法

髪の毛が、えらいことになってきました。


1月、お参りに来てくれた夫の友人に、「1月中には切ります」って言って。
数か月前、友人に「ユウレイかタコ八郎みたいやねん」ってネクラなメールしたら、「宅八郎やろ」って突っ込まれ。
先月、前職場の男性の上司に「毛先が、切ってへんって感じやなー」って言われ。(←ちょっとショックだった)


切りにいけば、いいんだけど。
ただ、やる気がでない。


サロンで「お仕事お休みですか」って、会話するのが、いやでめんどうだし(話さなければいいだけだけど)。
身を構っても、仕方ないって、思ってたり。どっか罪悪感があったり(ほったらかしのほうが、夫は嫌がると思うけど)。


切ろう、ちかぢか。こんな髪で、新宿に行っては、いけない。
ふう。


□□□


カウンセリングで、自律訓練法というのを教えてもらいました。


前から、場面によって緊張状態がヘンで、それはなんとかやりすごしてきたけど、先日、駅にいるだけでパニック発作的な症状が出て、ちょうど新聞記事で読んだばかりだったので、相談してみました。


最初に、呼吸を整えて、先生が「気持ちが穏やかになる情景を想像してください」って言われた。


気持ちが、穏やか・・・


夫といっしょにビーチで寝そべってるところとか、森林のベンチでまったりしてるとか、とにかく夫といっしょの情景になる。


リラックスするのも、たいへん。


でも、自律訓練法、先生の指導で終えたあとは、胸のつまりが少しおさまっていました。


2011年5月10日 (火)

やさしいひとこと

友人で、20年ほど前に、交通事故で妹さんを亡くした人がいます。


今、家がわりと近くて、長い付き合いで気を使わない部分もあるし、つらい経験をされているのでなにかと話を聞いてもらいやすくて、ついつい頼ってしまいます。


数年前、彼女が里帰り出産したときに、ご実家にお祝いを持ってお邪魔しました。


お母さんとはそのとき初めてお会いしました。居間には亡くなった妹さんの写真がいっぱい飾ってあって、お母さんは、しみじみと妹さんのことを話された。


友人は、妹さんが亡くなったあと、お父さんがほんとうに参ってしまってたいへんだったけど、お母さんはしっかりしていた、お母さんは泣かなかったって言ってた。


お母さん、家族の前で泣かなかった、泣けなかったんだなあって思った。でも、どんなに泣かれたか分からないって思う。


友人と会ってるときに、たまたまお母さんから友人に電話があった。わたしに電話かわってくださった。


たったひとこと
「からだにだけ、気をつけてね」
って、言ってくださった


お母さんが、どんな思いで過ごしてこられたか、ひとことに、にじんでる。


わたしも、傷つけることなく、無責任な励ましでもなく、気を使わせることもなく、でも、ほんとにやさしい言葉をかけられる人になりたいなあ。


明るいのに、やさしさがにじみ出てるような、そんな笑顔が憧れだなあ。


2011年5月 8日 (日)

母の日

4月の半ば以来、体力も気力も落ちたまま、世間はゴールデンウィークでした。後半、母が泊まりで来てくれましたが、なにしろ相当な落ち具合で、「生きてるのがしんどい」的なこと、グチってしまいました。こんな親不孝な話ってない。さんざんな母の日にしてしまった。


□□□


私は、義母が、苦手。嫁、姑って、多かれ少なかれそういうとこあるかなって思ってはいるけど。デリカシーないけど悪気ないんや、こんな人なんや、って夫にさとされ、自分でもじゅうじゅう分かってるつもりなのに、いくつかは心に引っかかってしまって、消えないものがある。


だから、夫の親孝行で、旅行いったり、食事いったり、家に招待したりしても、心から「お義母さんに喜んでもらいたい」て思ってしたこと、なかった。


何年か前、義母が雪道で転んで左手首を骨折した。そのときは、私達も車で1時間半ほどのところに住んでた。同居の義姉には毎日一日中のご奉仕だし、少しだけでもお手伝いさせてくださいと申し出た。


義母は「明日はお天気だからふとんほしてほしいから朝のうちに来てください」って言う。いいんですけど、いい嫁のフリしてるみたいで、義姉には気つかう。義母の言うとおりに動いてはいたけど、とにかく、義務感が先に立ってた。


そうやって微妙な気分で通ったうちの一日、夫が会社帰りに実家に寄った。その日は義兄も早く帰宅し、平日の夜なのに家族がそろって、にぎやかな夕食だった。義母は、すごいご機嫌だった。


そのとき、義兄と夫の、楽しそうな、幸せそうな様子を見ながら、
「夫がこんな顔をしてくれるの、うれしいなー」
って思ったの、それは素直な気持ちでした。
それから、義母のため、というより、夫のため、でいいじゃんって思うようになりました。


義母にも母の日ギフトのお菓子の詰合せ贈りました。


夫がいない、母の日。


2011年5月 1日 (日)

サザ えさん

地元の友達が家に来てくれました。


駅へ迎えに行ったら高校生ぐらいの若者の募金活動。「東日本大震災への募金をお願いしまーす!!」
ガナリ声(男子)、キンキン声(女子)が駅の空間に反響して、ワーンワーンワーン・・・なぜか、その場にいられなくなり、手にへんなアセをかき・・・。募金活動は大きな声でお願いするものなの、分かってます。分かってるだけに、「私ヘン!?」ってあせりました。「震災」の文字からも逃げる。


親しい友達だったので、私の様子がおかしいことも分かってくれて(心配させちゃったけど)、お茶を飲んでるうちに落ち着きました。


学生のころからの友達だけど、お互いの夫婦4人でも楽しい時間を過ごすことができた。
夫がいないことを、いっしょに、悲しんでくれること、
これよりも、ありがたい時間なんてない。


□□□


しんどいときは、新聞や本の文字が頭に入ってこないのです(自分があほやしかなと思っていたけど、夫の友人のことばで、そればかりじゃないかも、と気付きました)。


またサザ えさんを読んでいます。


とりかえしのつかない、ほんとにでっかい自責、とは別に。ちっちゃい、ちっちゃい、後悔もいっぱいあります。


なんで、あんとき、やさしくできなかったのかな。
くだらないことでイライラしたな。
友達との約束、楽しみにしたりさ。


サザ えさん一家って愉快で仲良し。
いっぱいいっぱいケンカして、でも、ギューって抱きしめるんです。
愉快で、仲良しだからこその、ケンカや息抜き。
ちっちゃい、ちっちゃい後悔は、楽しくて、仲のいい家族だからこそ・・・って思えるんです。

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  • ウ525
    2010年9月46歳夫突然死。子どもなし一人暮し。なかなか元気でませんが、マイペースで生きてます。 twitterアカウント:usako88chan instagramアカウント:usako88
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