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2011年1月

2011年1月31日 (月)

博多山笠

お悔やみのお手紙を頂いたので、それにお礼状を書いた。私は面識がないけれど、博多祇園山笠で夫がお世話になった方らしい。


若かりし頃、九州に赴任してた夫は、余所者であるにも関わらず有名な博多祇園山笠のお祭りに参加させてもらっていた。山が結構なスピードで博多の町を駆け抜けて、タイムトライアルする迫力のあるお祭り。転勤族でお祭りに出ている人は結構いるらしいが、夫いわく「お客さん」状態も多いらしいけれど、夫は会社の先輩の影響もあって、下っぱからがんばってお祭りのしきたりに入れてもらったらしい。


祭りは男の世界で、妙な(すみません)しきたりやすごいプライドがあって、おもしろい。


転勤で博多から離れてしまい、毎年行くことはできなかったけど、去年は夫も3日間参加した。


去年は夫が参加するグループが何年かに一度の当番で、夫も役割をもらって、いつも以上に一生懸命張り切ってるのを近くで見ることができた。すごく緊迫感があって声をかけるのを躊躇してしまって、夫の写真は撮ってない。


また山笠、行きたいな。夫の写真持って、夫の気持ちと一緒に。


って思うけど、手紙書くだけで夫の楽しそうな姿思い出してボロボロ。夫が大好きなお祭りに一人で行くのは結構がんばらないとなあ、と思います。


2011年1月29日 (土)

今だけでも丁寧に。

少し元気に笑える私を見守ってくれる人には言えないけれど、今の私をささえているのは、
「私もいつ死ぬかわかんない」
ってことだったりします。


明日でさえ確実じゃないんだから、遠い先のことなんか考えるのをやめると、少し気持ちが静か。


生きてたって仕方ない!ていう、投げやりな気持ちじゃないし。
かといって、私に与えられた命を大切に生きるとか、人生楽しまなきゃみたいな気持ちにはなれない。夫の命が突然奪われてしまったことを「与えられた命を全うした」なんて、やっぱり考えられないから。


夫は日常のまま私に言葉をかけて眠りにつき、そして次の朝が来なかった。命が終わるときって、おっきな前触れもなく、とつぜんやってきた。


夫はその夜、翌朝倒れることなんてもちろん知らなかったけれど、「おやすみ」の前に私にかけてくれたなんでもないやさしい言葉が今の私の救い。その言葉を思い出しては泣き、不安になるとその言葉にすがっています。


夫がいつもやさしかったから。いつも愛情たっぷり、丁寧に接していてくれていたから。普通に楽しく過ごした一日、普通にうれしい言葉のはずだけど、その一日もその言葉も私の宝物です。


だから、わたしも、今と周辺の時間だけでも、できるだけ丁寧に過ごす人になりたい、と思っているのです。

2011年1月27日 (木)

願望

悲しい気持ち、切ない気持ち、さびしい気持ち、会いたい気持ち。そういうのは、つらいけど、いくらでも、いつまででも、がっつり付き合う。ちゃんとかかえたい。そんなの減らしたいとか(減らないし)、どうにかしたいとか思わない。


そういうんじゃないもの、自分に対するネガティブな気持ちとか人間関係のストレスとかもいっぱいある。そういうのはただ疲れるし、できればどっかにやりたい。


今日、カウンセリングの日だった。先生に話しているうちに、泣いてて心をかきむしりたいようなときは、寂しさとか悲しさだけじゃなくて、心のどっかに不安とか迷いとかイラだちとかがあるのかな、って気づいた。


不安とかも当然の気持ち。やっぱりどっかで、進まなきゃ、前をみなきゃっていう刷り込みがあって、周辺からの無言のプレッシャーも感じる。でも、やんなくちゃならないことはやってるのだから、それでいいんです。


「しようって自分で思えるまで、がんばらなくてもいいですか?」って聞いたら、
「しようっていうより、したいっていう願望が出てくるときですね」って言われた。


それは分かりやすい! 実際、ちょびっとずつ、ちっちゃくて内向きなことばかりとはいえ、「したい」って思うことが増えて、してるんだもん。それでいいんです。


□□□


クリニックからの帰り道、駅二つ分歩いてみた。夫とときどきランチしに遠出散歩した辺り。このへんに引越しようかってあわや実行しかけた地域でもある。

夫は(私も)CSの旅チャンネルが大好きで、ハワイ情報の番組はチェックして録画してた。そのチャンネルに町田忍さんという庶民文化研究者の冠番組がいくつかあって、神戸にいるときから楽しみに見てたんだけど、東京にきたら紹介される情報がいっきに身近になって、二人でめちゃくちゃ面白がって見てた。散歩コースでも町田さんを意識することが多かった。


西小山の商店街にさしかかって町田さんの地元だよなーーーと思ったら、すごくさみしくなって、目がウルウルした。町田さんが番組で紹介してた床屋さんを発見した。すごくすごく、夫に教えたい!!


もし町田さんが歩いてはったら…。


夫の名前でサイン書いてもらおう!


不思議に涙がひっこんで、少し気持ちが軽くなった。


これも、「サインほしい」っていう願望のなせる技でしょうか。


2011年1月25日 (火)

声が聞きたい

友達と話しをしていてふと思ったんだけど、私がこれからお仕事にしても趣味にしても、何かしようかなと思ったら、必然的にいろんな人と新しく出会うことになると思うけど、そうしたら「結婚してるの?」などと聞かれることもあるでしょう。ウソをいう必要はないけれど、へんに気づいかいされるのもいやだし、人によってはあれこれと詮索したり、無神経なこと聞いてくる人はぜったいいる。今の私では、それを笑って平静にかわす心の余裕がないから、ちょっとずつ前もって覚悟しとかないとなあ、などと考えました。


□□□


最近、すごくつらいです。うまく言えないけれど、心をかきむしりたいような。


最近、と考えて思いかえすと、つらくないときなんてなかったと思う。いろいろ自分に言い聞かせて、気持ちの持っていき方を模索しているけれど、結局、ほんとのところは何も変わってない。私ひとりじゃないって分かってる。甘えだと思うときもある。


こんなにつらいのに、自分を責めるのは違うように思う。だれも悪くなくて、だれのせいにもできなくて、だれも助けてくれない。自分で、いくらがんばっても望みは叶わないし、いくらがんばっても光なんてないように思う。


お部屋を片付けていたら、私の一人よがりな空間がどんどん出来上がっていく。こんなことちっともしたくないのに。


しんどいなあ。


夫の声が聞きたい。


2011年1月24日 (月)

お料理をすること

ポトフを作った。ものすごく手抜きで作ったのに、そこそこおいしくできてしまって、ちょっと驚いた。弟に料理してエライなんてほめられたりもした。


もともと野菜大好き夫婦だったけど、夫がダイエット始めたころから、蒸し野菜とか、野菜キノコ中心のナベとか、がんばってバーニャカウダとか、とにかく家食では野菜キノコ類を大量に食べていて(量が多いので、おなかいっぱいだし、カロリーも高そう)、ポトフもそんなメニューのひとつでした。


こないだは具だくさんのお味噌汁。おナベを出して、それなりの平常心でちょこっと食べるものを作ることができるようになった。もともと一人分のときは超手抜きだったし、喜々としてお料理するなんて今は想像できないけど、切ったり煮たり味見したりは大丈夫。


□□□


父が亡くなったとき、四十九日の間、白木のお膳に毎食毎食、母が精進のお供えをしていた。そういうものだと思っていたので、夫の葬儀を京都でしたいと義兄が言いだしたとき、私にはどこでどんな葬儀をしたいかなんて自分の意思はなかったけど、夫が夫の実家に戻されるのかと思い、とにかく、お膳のお供えは私にさせてほしい…とそれだけ心の中で思ったことを覚えてる。


その後、特に話し合ったりすることもなく、自宅があって職場のある東京で葬儀をしようと義兄から言ってくれた。白木の祭壇も、東京のマンションに作ってもらえた。


夫の実家は浄土真宗で、お膳はなくて、お供えはお仏飯だけだった。だから、ごはんは毎日炊いた。最初は泣きながら、炊いてお供えした。炊いたから自分も毎日ご飯を食べた。


なかなかちょっとした料理するにも気力がなくて、ここまでズルズルと逃げ腰できてしまったけれど、料理とか食事は、夫のために、夫といっしょに…ってやってきた自分の大好きな家事の一つだったのです。


母が、お膳のお供えは私も泣きながら作ったもんね…って話してくれた。そうやって、お野菜を買ったり、包丁を持ったり、それを頂いたりするっていう日常を、つらいながらも半ば強制的にする。食欲も気力もないときでも、子供とか家族がいたら食事の用意をしないといけない。私の場合、そういうのもなくて、作らないとね、って自分で思えるまで、できなかった。


ポトフは明日カレーに変身する予定です。だいじょうぶかな。

2011年1月22日 (土)

TDRのプレゼント

あまり去年の手帳を見るのは気が進まないのだけど、見ないといけないことがあってちょうど一年前のページを開くと、今頃の週末に東京ディズニーリゾート一泊していたことがわかった。


ディズニーリゾート好きは男性にもたくさんいらっしゃると思うけど、うちの夫は(私も)あまり興味がなかった。すごい人で、いっぱい並ばないといけなくて…なんて先入観もあった。でも、おととしのいつだったか、カード会社のJCBから書留郵便が来たので、なんだと思って受け取ったら、TDR旅行10万円分だった!


夫がやみくも(?ごめん)に登録していた懸賞に当選してしまったのだった。


東京在住で大人2人だけなので、かなり豪華にTDR観光できることになってしまい、ミラコスタのすごくいいお部屋に一泊できて、ゆっくりぜいたくに二日間遊んだ。


寒くって閑散期にあたっていたこともあってか、辟易するほどの人ではなかったし、シーではショーを中心に見た。真ん中の池(?)でのショーとミュージカル仕立ての舞台とミッキーのジャズのビッグバンド。


思っていたよりずっとずっと楽しめてすごく満足した。ミッキーがドラム演奏を披露するショーなんか、正直、ミッキーの中身何者!?と興奮した。夫も、ミッキーかっこええなあ、と喜んだ。


夕食のとき夫に、なにが一番よかった?と聞いたら、ミッキーのビッグバンドもよかったけど、ぼく実は、最初のメインのショーのときもちょっと涙が出てん、って言って…。わたしは、そういう夫が大好きで、かわいくって、ツボにはまって、笑ってしまった(ごめん)。


南紀白浜アドベンチャーワールドのオルカショーでも、なぜか涙ぐんだ夫。それも笑ってしまった私(ごめん)。


(会社の人や、夫の家族、友人のほとんどは想像できないんじゃないかと思う。どちらかというと、やさしいけどコワモテなタイプです。)


こんな楽しいねんし、またTDS行こうね、って言ったのにね。ちょうど一年前。ずいぶん前のことなんだか、ついこの間のことなんだか、よく分からない。


2011年1月21日 (金)

姿勢

今日はお昼に友人がおうちに来てくれた。このあたりで有名らしいパン屋さんのパンを買ってきてくれたので、なんやかやと話をきいてもらいながら、食べた。


パン屋さんもケーキ屋さんも、ここがおいしいよ、って聞いたり、ネットで見たりしても、どうも心が動かない、というか、一人でも何かおいしいもの食べようって意欲がなくて…。けど、前はおいしいものっていうだけで、胸が苦しくって、罪悪感に似た気持ちさえしてたのだから、だいぶ違ってきた。


ちょこっと久しぶりに、美味しいものをおしゃべりしながら食べられるのは、実はとっても幸せなことなんだなあ、と思った時間でした。


□□□


なんでかなあ、とか、あーあ、とか、つらいなあ、とか、ぼんやり考えてるとき。私の場合、いつも首を傾けて頭を前に垂れてる。そして猫背。


家で、お仏壇の前とかで、ひとりでどっぷりしてるときは、そのままで垂れたままだけど。


お買いもの中とか電車の中で気づいたとき、最近は、せめて背筋だけは伸ばすようにしています。


体と心って、なんでこんなにつながってるのかな。心に元気だせって無理強いはできないから、せめて体だけでも気づいたときぐらいは激励しようと思います。


2011年1月20日 (木)

私は生きてる

もう1カ月ぐらい前だけど、カウンセリングを受けているクリニックで「生きている人はいつかは進んでいかないといけません」って言われた。


私が引越準備でまいっているときで、先生は、今の引越はとてもつらいことだからムリに荷物を処分しなくていいと思うよ、って言ってくださった。でも、いつかは、亡くなったことを受け入れて、何もかもをそのままにするのではなくて、思いのこもったものを残すようにするのがいい、って言われたとき、上の言葉を言われた。


そのときも、ジワ~と涙が出てきてしまったけど、それから引越があって、日々を過ごして、忘れてた。


昨日、買い物の帰りにテクテク歩いていたら、その言葉を急に思い出した。


私は生きている人。進まないといけない。


そう思っただけで、うわーと感情が湧き出して、ものすごく泣けてきた。
なんで泣いているのか、わからないけど、泣けた。


2011年1月18日 (火)

私が引き受けたこと

引越から一ヶ月経って、荷物はそれなりに落ち着いた。松の内もすぎてお供えのお返しとか、頂いてしまったお年賀状への返信もした。4回目の月命日もすんで、今週からはなんとなく日常(?)に戻ってきた感じ。


「引越してからするよ」って後回しにしてたいろんなこと、そろそろ、少しずつでも、しないといけない。


書類の山を取り出して、ひさしぶりの事務モードにはいってたら、言いようのない感情がわいてきた。悲しくて泣くときとは全く別の、気が遠くなるような疲労感…。引越前にいろいろいっきにやったときほどじゃないけど、あのときのしんどさを思い出した。


でも、これはやらなきゃ。妻のつとめ。これは、受け止めなきゃ。


□□□


夫がいなくなってから私の毎日は、夫がつい先日まで着ていた服があって、一緒に使った食器があって、夫が亡くなったあとで夫が喜んだはずの郵便物が届く。書類を見ると、夫の書いた字が愛しい。毎日毎日、気が変になりそうだった。


今日、「わたしがやらなきゃ」って思ったとき、もしかして、妻だから、「私ができること」でもあるのかな、って思った。夫の残したものをすべて引き受けて、夫のもとに届くいろんな言葉を夫に代わって受け止める。とてもつらくて、私の容量を超えちゃったりするけど、夫が私に託したことでもある。


私がギリギリのときも、義母や義姉に泣かれて、どんな風に悲しんでるか説明されて、お互い寂しいけどがんばろうとかって言われても、悲しいのはあなただけじゃないよ、って言われてるような気さえした。お義母さんもお義姉さんもすごくすごく悲しいのはわかるけど、こんなつらい毎日じゃないでしょって心のどっかで思ってたかもしれない。


妻のつとめを私が引き受けちゃったから、手元にそういう対象がない義母や義姉にとっては、ちょっとした嫉妬みたいな気持ちがあったかも。「わたしが、わたしが」なタイプの人なので、黙っていられなくてアピールするのかも。 ??? そう思えば、これからは、楽かも。


よくわかんないけど、それも私が引き受けたこと。事務処理に限れば、いつかは一個ずつ終る。がんばります。

2011年1月17日 (月)

最近、月とか星が見えるようになった。前は夕日とか月とか目には入っていたけど、そこから先は思考停止だった。最近、月を見ると、「あ、今日のお月さんはキレイだな」とかって思う。


月を見ながら夫のことを思った。月がキレイに見えるときだけでもいいから、夫と話しができたらいいのにな、って思った。


□□□


夫は(私も)ハワイが大好きだった。夏休みに行った。なんど行ったかは数えません。すぐ数えられるけど、増えないのを確認するのがつらいので。


ハワイにはたくさんの思い出があるけど、夫と二人してよく思い出したことがある。


夕食から部屋に戻り、夜、ビールを持ってラナイに出た。おっきい満月がぽっかり浮かんでいて、海にきれいに映ってた。遠くからバーのライブ演奏が聴こえてきて、ここちよい風が吹いてた。


月と海を眺めながら、二人で延々おしゃべりした。とりとめもない色んなことを、ほろ酔いで話し続けた。マカダミアナッツをつまみながら、二人でビールを何本も空けた。


夫と、きれいな月を見ると、今まで見た中で一番きれいな月はハワイのあの月だねと話した。


□□□


3年半前にハワイに行ったとき、ハワイアンジュエリーのネックレスを買ってもらった。これからはハワイに来るたびに一つずつ買ってね、と約束した。袋を手に喜々として帰りみち、夫が「いくつ買えるかな」って言った。なんてさみしいこと言うのか、と思った。


夫が買ってくれたハワイアンジュエリーは二つ。


□□□


二人で見たあの月夜ほど穏やかで幸せな時間なんて、もうぜったい得られないけど。


もしとてもきれな月を見ることができたら、夫に見せたい。夫と一緒に見たい。せめて、一緒に見てくれているって思いたい。

2011年1月16日 (日)

スキキライ

同期の人たちが、「○○(夫)ってほんと、だれだれがきらいとか言わなかったね」「ぜったい言わなかったね」って話してた。「せやからあいつあかんねん、そういうの吐き出さんと、体こわしてもて」って言った人もいた。


そうなの?それほど「絶対人の悪口言わない」すごい人だったのかな。飲んでる席でおもしろおかしくネタにして、笑って…とかはあったよね。でも、根底に「きらい」っていう気持ちがないから、どんなときも人に対してどっか、あたたかかったのかもしれない。


私はきらいなものがおおいなあ。「○○ちゃん(私)はテレビ見てきらいてよう言うてるなあ」って指摘されたなあ。


あの人きらい!って言い切るパワーはないけど、会いたくないって思う人は今回増えちゃったなあ。それって、つまりきらいなんだろうなあ。


□□□


初めて会ったころ、私のこと、好き嫌いがなくてなんでもいっぱい食べるのが好きだって言ってたな。


私のこと、やさしいから好きだって言ってくれたのにな。


2011年1月15日 (土)

シンプルに。

夫が亡くなって、4カ月をなんとか過ごして、今思っていること。


○ 今の自分には…「無理しない」、「あせらない」。

○ これからの自分には…「シンプルに」。


□□□


「無理しない」「あせらない」って私の性分にはあんがい難しい。今までめいっぱい効率とか後先とか考えて、先回りするのがいいような気さえしてた。子供のころから努力が美徳みたいな刷り込みもあるし。時間を大切に…とか。(行動はダラダラして、あとで反省する人)。


でも、最近、ちょっと開き直ってきちゃったけど、やっぱり心はとても不安定で、あせらそうが、無理させようが、気持ちがついてきてなかった。体もついてきてなかった。


急がないって言い聞かせる。ラテン系に(今はネクラだけど)時間をゼイタクに使える人になろう。ホラ、夫はいつもどっしり優雅だったじゃん。いつも私のせいで時間ギリギリになっても、走ったり、急いで歩いたりもしなかったじゃん。


自分の気持ちに従う。怠け心も、後ろ向きな気持ちも、それも今はぜんぶそのまま受け入れよう。いちにちいっこは自分の背中を押すことを夫に約束したので、それで、自分にOKを出す。


外側からのいろんなことを受け入れられるようになったら、心が疲れてるのか怠け心なのか区別もつくようになるだろうし、またあくせくと時間を気するようになってしまうよ。


□□□


あせったり無理したりするときって、他の人と比べてみたり、周囲の目を気にしてみたり、気を使ったりするときなんじゃないかと思う。


私はこれでいいんだって思うこと。私にとって大切なことを知ること。とっても難しいけど、それが私にとって「シンプルに」いきたいということ。


身の回りのもの、やること、考えること、今はドロドロなものが体をいっぱいに満たしてる。人間関係で悶々としたり、自分のこれからを悲観したり、考えすぎたり、抱えすぎたりしてる。


シンプルな根っこのある私は、きっと穏やかに笑えるようになるはず。


これは私の修行です。シンプルなことって、簡単じゃないんだ。


2011年1月14日 (金)

涙のツボ

今日は、夫の同期の人がお線香をあげにきてくださった。お仕事帰りに新宿から来て頂くには不便な場所だし、申し訳なかったけど、ほんとにうれしかった。


みんなが色んな楽しい思い出話をしてくださると、夫が一番に笑いをとってた様子が目に浮かんで、夫も一緒に笑ってくれてるような気がして、お酒が入ってるせいかもしれないけど、素直に笑えて、とても楽しかった。


□□□


今日はささいなことが涙のツボな一日だった。


同期の人に持ってかえってもらうためにお菓子屋さんに行った。年配のおじさんがケーキを買ってた。家族サービスだなって思っただけなのに、鼻がつーんとした。夫が私のお土産にケーキやお寿司やお花を買って帰ってくれたことを思い出して。


同期のみなさんを駅にお迎えに行ったとき。改札からどんどん仕事帰りのサラリーマンが出てくるのもダメだった。なんでこの中にいてくれないのかな。駅で待ち合わせて、一緒に帰ったり、帰りにごはん食べたりしたじゃん。


あーあ。

2011年1月13日 (木)

写真。不思議。

デジタルフォトフレームを買った。これって結構すぐれもの(世間では常識ですか?)。スライドショーとかで見てると、ほわーん、といろんな思いにふける。何気なく取り出したアルバムをパラパラとめくって、思いがけない思い出にひたるのに似てるかも。


夫は私とおつきあいを始めたころにデジカメを買った。まだボコっとでっかい機械で、画素数も小さかった。「デジカメ買って、○○ちゃん(私)といっぱい写真撮るねん!」って言ってくれて、ちょっとうれし恥ずかしだった。


私達の写真はほとんどがデジタルデータ。デジタルフォトフレーム、買ってよかったなと思ってます。


□□□


普通の写真立てに入れてた数枚の写真も交換した。ずっと前からしようと思ってたけど、「写真を選ぶ」「大きさを調整する」「印刷する」「カットする」作業に踏み出せなかった。写真を見るのは幸せなことだけど、確実に泣いちゃう行為でもあるので、ちょっと覚悟と体力がいる。


私の好きな笑顔の写真を数枚選んだ。


夫の最後の写真になってしまった、タイ旅行のスナップも一つ印刷しようとした。そしたら、ちょっと不思議があった。


他にも数枚選んで同じように印刷しているのに、タイ旅行の写真だけインクジェットのインクがベタベタのままでプリンタから出てきちゃった。印刷の失敗。機械の不具合? そのあとのは通常通り印刷できた。


なんでタイ旅行のだけ?


考えてみれば、タイの写真を見るときは、「このときもう心臓に異変があったんじゃ」「本人ももしかして不調を感じてたんじゃ」とかかならず思ってしまう。だけど、楽しかった最後の旅行だからと思って印刷しようとしたんだけど。


単なる偶然。それとも夫からのメッセージ。それとも夫をも超えたなんかの力。???。


なんにしても、それをどう受け取るかは私次第なのかもしれない。私はまだタイの写真を平静に見られないことを改めて実感したし、来客の誰かが見てなんか変なコメント言われたりする可能性もあったわけで。


デジタルフォトフレームはちゃんとタイの楽しかった私達を見せてくれます。旅行中はほんとに平和で、幸せで、まったりとして、楽しかった。会話のひとつひとつが夫の笑顔といっしょに思い出される。その思い出がサラサラと流れる分にはいいんだ。


2011年1月11日 (火)

人のいたみ

この3連休に母が来てくれた。年末年始に私が帰らなかったものだから。私のわがままで心配をかけているのが、申し訳なくって。私、このままじゃいけないなと思いました。


車で15分ほどのところに住む弟の家族も来てくれた。


甥は3年生なのだけど、少し落ち着きがなくて、お線香上げるときもあまり真剣味がなかった。大人たちに注意されてもふざけていたものだから、ものすごい剣幕で弟(彼の父)に怒られた。


夫は私の家族、親戚、友人ともすごく仲良くしてくれた。まだ幼い私の甥姪をほんとにかわいがってくれた。夫がかわいがってくれていたことを思うと、彼のその態度が悲しくて、夫に申し訳なくて、正直つらかった。


今後、もしもし同じような場面があったら、彼にはいちど、まじめに話をしたいと、思った。お仏壇の前でふざけちゃあかんってことはもちろんだけど、それだけじゃない。おじさんに手を合わしてるんだってこと。


おじさんが、彼をかわいがってくれていたことを忘れないでほしいこと。
おじさんが亡くなったことで、彼自身は悲しかったかどうか。
亡くなって4か月経って、彼にはもうさびしい感情はないかもしれないけれど、私はさみしくて、悲しい思いがあることを想像してほしいこと。
少しでも、そんな気持ちを想像できたら、態度だけでも思いやりをしめしてほしいこと。


けれど多くの大人も、夫が亡くなったことを早々と過去のこととしてキリカエて、私の思いを想像してくれることはない。ただ、彼のようにふざけた態度まではとらないだけ。
相手が子供だから、そして、私にとってもかわいい甥だから、人の気持ちや痛みを想像できるようになってほしい、人が亡くなることってどんなに悲しいことなのか分かってほしい、と思ってしまう。


相手が大人だと、そうじゃない。
私が少しばかり違和感を持ったり、イヤな思いをしたり、勝手に傷ついていることも、ぜーんぶ、私が相手に何かを求めていることが原因だ。何も求めなければいい。そう考えるようにしないと、くだらなくて、面倒で、自分がしんどくなるだけだと思ってる。それでも、うまく気持ちがおさまらなくて、ウダウダと引っかかって、しんどい。


ちょっと人間関係について考えさせられてしまいました。


2011年1月 7日 (金)

I miss you

ここ数日、また大波にもまれてる。しばらくやり過ごしたら、また凪いでくれるでしょう。ちょっと前は、疲れて波打ち際に座りこんで、寄せて引いてに翻弄されてたけど、今は少しだけ沖で浮かんでる。静かなときも荒れるときも必ず来る(もしや海と同じで月にも関係ある?)。いつか、大波がやってきても、よっしゃきたで!って波をつかまえて、景色を眺める余裕ができればいいのに。


私はもともと宗教心がないから、魂の存在を確実に信じているわけじゃない。「あっても不思議じゃない」「夫の魂はあると信じたい」レベルなので、凹んで思考がネガティブスパイラルになると、たちまち、すべてが取り戻せないことにとらわれてしまう。


宗教心…。神戸でバングラデシュ人の留学生の男性と知り合った。彼はすごく敬虔なイスラム教徒。私が「夫はちょっと太り気味だから、塩分に気をつけているんだよ」っていうと、彼は少し思案して苦笑した。


「命は神様が決めることだから」


彼は健康をないがしろにしているわけじゃない。食生活の戒律も厳しいので、それに従っていると自然とヘルシーな暮らしができる、ということみたい。


大切な配偶者とか家族が亡くなって、神様の思し召しで天国に迎えられたと深く信じるとき、どんな悲しみがやってくるのかな。


□□□

凹んではいても、夫に約束した一日いっこの報告はいちおう続けてる。どんなちっちゃな一歩でも自分の背中を押すため。ちっちゃな一歩のあとにおっきく後戻りすることもあるけど、じっと立ち止まっていたり、下を向きっぱなしではないように思う。


立ち止まったり後ろ向きになったりすることと、夫を思って悲しむことは、また別のものだって、私も気付き始めてる。前を向いて、明るいことを考えていても、悲しいときは悲しい、さみしいときはさみしいのだから。

2011年1月 6日 (木)

家事

ちゃんとそこにあるものが見つからなくてすぐに「◯◯ちゃーん(私)」って呼ぶし。

開けた扉や引き出しは必ず中途半端に開いてるし。

食べものとかこぼすし。お袖も汚れてるときあるし。


モウ~ッとか思ってたの、ごめんね。

今は、それが恋しくて泣いています。

掃除しがいのない洗面所もトイレも、自分の髪の毛しか落ちてないフローリングの床も、毎日まわす必要のない洗濯も、とても味気ない。忙しいときや疲れてるときはめんどうに思ったりしたけど、お料理も、お洗濯も、お掃除も、夫が気持ちよく暮らせるため、夫が喜んでくれるため、そしてそれで私も満足する。今は、惰性のように、何も感じない。

もうお友達がだんなさんのグチいっても、きっと素直に聞けないな。

2011年1月 5日 (水)

夫の結婚

何年か前、結婚前の夫の赴任地のひとつ、名古屋に二人で行った。夫の旧友らと会い、そして夫が通っていたというオカマバーに行った。バーのご主人は夫の久しぶりの来店をとても喜んでくれて、そして泣いた。


「○○○(夫)が結婚して、奥さん連れてきて、わたしはほんとにほんとにうれしい」


男泣きでもなくおばちゃん泣きでもなく。情の深さに、私ももらい泣きした。


夫が名古屋にいたのは30歳前後で、仕事もプライベートも充実して独身貴族を謳歌してたころだと思う。そのバーで夫はご主人に「自分の父は心臓を患って早くに亡くなった。そんな家系なので自分は結婚しない」と言ったことがあったらしかった。


夫は夫が20歳のときに亡くなった父親が大好きだった。父方の家系に心臓で亡くなった方が多いことや、夫がそれをやはり気にしていることは、私も知っていた。でもそれで結婚のことも気にしてたなんて(失恋でもしたのかな?)もちろん知らなかったし、夫がそれをとび超えて、わたしと一緒の時間を過ごすことを選択してくれたことを知って、うれしかった。病気はこわいけど、遺伝が絶対なんてことはないし、気をつけて健康に暮らそうと思ったし、夫もそう思っていたはず。


□□□


夫は急性心筋梗塞で亡くなった。
お見舞いに来てくださって「お父さんも心臓だったよね」っておっしゃる方が何人かいた。先日お会いした夫の高校時代の親友の奥さまもご主人がよくその話してるっておっしゃった。


そんな話がでるたびに・・・、そういうこと知っていたのだから、なんでもっと食生活とか夫の健康に気をつけなかったのかな、それって妻のつとめだったのじゃないかな。わたしは夫が長生きするために、どれぐらいのことをしようとしたかな、って、やっぱり申し訳ない気持ちになってしまう。


□□□


夫は美味しいものを食べるのが大好きだし、お酒も食事と一緒に楽しむという意味で大好きだった。いっぱい食べて、好きなだけ飲んでたように、みえただろうと思う。


でも、体にもすごく気を使っていた。ここ3年で体重はがんばって健康的にかなりおとしたし、血圧も毎日測定ししていた。歩数計を持って運動量をキープして、食生活も無理のない程度には気をつけてたつもりだった。美味しいものを食べたり、好きなゴルフや旅行をいつまでも楽しめるために。


夫はダイエットを決意したとき、「○○ちゃん(私)と長生きすることにしてん」と言った。


夫が、信じて実践してたダイエット本を見ると、血圧記録ノートを見ると、すごくすごく切なくて、ダメだったじゃんって思うけど、夫のがんばってた思いがつまってるような複雑な気持ちがして、どんなふうに見たらいいのか戸惑います。


2011年1月 4日 (火)

記憶と記録

夫の携帯電話をまだ解約していない。ずっと解約しようと思ってる。メインで使っていた仕事用の携帯はすぐに会社に返却した。プライベートではアイフォンをほんとに楽しそうに使っていて、メールや電話の相手はほとんど私だった。


メールとか写真のデータをバックアップしてから、と思ってて、なかなか行動できてなかった。調べると、アイフォンのメールデータはサーバーから自動的に消されちゃうらしいことが分かり(今のとこ残っているのだから安心のはずだけど)、あわててPCにコピーした。


デスクトップパソコンも処分予定なので、できるものはバックアップしておこうと何気なく考えていて、「これって、夫にとってすごくプライベートなものもあるよね」って思った。私に見てほしくないものもあるかもね。写真データはともかく、他のファイルのデータは開いてみることはないと思う。でも残すつもり。


ただただ、なにかを処分するときに、夫の言葉や気配を手元に残したくて、ジタバタしてるのかもしれない。


□□□


夫が毎日身支度するときに見ていた姿見の鏡。

この鏡に夫の姿が記憶されているような気さえする。この鏡がいろんな夫をもう一度見せてくれたらいいのに。


□□□


どこに夫が一番存在しているかって、それは間違いなく私の頭の中のはずなんだけど、自分の頭はいまいち信頼できない。忘れっこないって分かっているけど、記憶は、ときどき都合よくすりかえられたり、薄れていったりすることも知ってる。写真を見続けていると、その顔の動かない夫が私の記憶になるのも、こわい。新しい写真が増えないことも、つらい。


アイフォンに入っていた私宛のメールは、私の携帯がだめになっても残るように、いつかカタチにしておきたいなあとは思ってる。でも、見ると必ず泣いて泣いて、作業は進みません。


2011年1月 3日 (月)

帰省

弟一家は神戸の実家に帰っている。神戸には母がいて、近隣に妹家族が住んでいる。親戚もいる。子供たち(甥姪)が小学校3年生、幼稚園年中、年小なので、とても賑やかで、春にはもう一人生まれる予定。


さっき弟に電話したら、みんながワイワイ騒いでいるのが聞こえた。どうやらランチに行ってるみたい。


帰らないことにしてよかった・・・。


いろんな人に帰らないの?って聞かれた。がんばって帰ったほうがいいのか、と思ったりもした(←自分へのあせり)。実は、まだ遠出はすごく気が進まない。楽しいとこ行くことも躊躇してしまう。カウンセリングのときにも相談して、したくないなって思うことを、無理にがんばらないことにした。今年の私にはクリスマスも年末も、お正月も関係ないから。


みんなのお正月が「喪中」にならなくてよかったよ。喪中でもそうじゃなくても、子供は楽しんでくれるだろうけど。


人が一人いなくなることって、ものすごい一大事なはずなのに、案外周囲は何事もなく回る。忘れたわけじゃないし、思い出せば悲しい。でも、会社はちゃんと回って、人が立ち止まったりすることはない。私も今まで、そうだったから、わかる。


私も少し前を向けるようになったかな、って思っていたけど、やっぱりダメみたい。一人の時間がたくさん必要です。

2011年1月 2日 (日)

シルバーのジュエリー

夫の高校時代の友人の奥さまが会おうとお誘いくださった。家族でニュージーランドに移住しておられて、年末年始にお子さんとご実家に帰省中。ご主人は10月に家までお焼香にきてくださったのだけど、今回はお留守番だそう。


先方のご都合もあって元旦の昨日お会いすることに。お互い都心を挟んで逆方面だし、1日からオープンしてるところを調べて、六本木ヒルズにした。展望台にあがって、美術館みて、初売りみて、食事して、お茶して、いろいろお話して、楽しい一日が過ごせた。


ひさしぶりの日本だからセールも見たいだろうし、とか、展望台からの景色みてウルとなっても、泣いたら気を使われるだろうし、とか、今の私なりに気をつかってみたら、「なんだできるじゃん」。


彼女とは、3年前に夫とオークランドに訪問して一度お会いしただけだったけど、その後たまにメールでやりとりしてる。彼女はジュエリーのデザインと制作をされていて、まだまだ、って謙遜されるけど、とても意欲的で、私は彼女のセンスが好き。


彼女が作品を持ってきてきてくれたので、シルバーのリングとネックレスを譲っていただいた。自分の買い物に興味わかないはずだったのに、「あー、自分のもの、楽しく選べた」。


□□□


でも、夫の話するのはやっぱりつらい。夫の人生は終わってしまい、みんなにとっては、キリカエないといけないこと。充実してたよね、仕事もがんばったよね、って言われ、ウンそう。だけど私は、夫にはまだまだしたいことがあったし、仕事だってまだまだがんばってる途中だったんだよ…って思ってしまう。なかなか、むずかしい。むずかしい。むずかしい。


私と結婚するずっと前から夫と親しくしてくださってたご夫婦。
彼女のジュエリー見たら、夫はどんなこと言ったかな。ナニワの商人流に「売れるで!」は間違いないけど、それをうれしそうにつけてる私をみて、どんなに喜んでくれるでしょう。


私を心配して連絡してくださること。呼び出してくださったこと。ほんとに感謝です。
そんな友人を持った夫に。
感謝です。


昨日、たくさん笑ったよ。わたし、ちゃんと笑えてたかな。

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  • ウ525
    2010年9月46歳夫突然死。子どもなし一人暮し。なかなか元気でませんが、マイペースで生きてます。 twitterアカウント:usako88chan instagramアカウント:usako88
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