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2010年12月

2010年12月31日 (金)

2010年がおわる

2010年がおわる。


街中にあふれるイベント、商戦としてのクリスマスや年末年始は、わたしには関係ないと目に入らず(のつもり)。日付が変わっても区切りはない。寒い中の日常を淡々と過ごす。


でも、年が変わる、このことは少し違う。


夫が一生懸命生きた日は、2010年におわった。


私にとって、これからずーーっと、特別になってしまった2010年。


なにもかもを失ったような気持ちでギリギリ暮らしているのだから、すごく矛盾してると自分でも思うけど、夫が亡くなったことを何かの理由にしたくない、あまのじゃくな気持ちがある。実家のある神戸に帰らなかったことも、今思えばそんな気持ちからもしれない。結果的には微妙な「新生活」になってしまったけど。


これから色んなことが起る。色んな変化がある。でも、区切りやきっかけを持たずに、徐々に、自然に、動いていきたい。


□□□


去年のいまごろは…とか、いつもは…と考えることがつらくて、思い浮かんでも頭からかき消すようにして過ごしたけれど、それはまちがいなくぜんぶ楽しい思い出だったから、無暗につらい気持ちといっしょくたにするのもどうかなと思う。


毎年、お正月は滋賀・神戸をはしご帰省した。結婚式をあげた平安神宮で初詣。お正月に合わせて新しい下着をつけられるように、年末まとめ買いして洗濯するのも恒例だった。新年だから新しいものという意気込みじゃなくて、下着を新しくするキッカケにしてただけだけど、おせち料理を用意しない、私のお正月準備のひとつだった。


東京での年末は去年だけになってしまった。関西へのお土産を買いに、築地と銀座に向かった。テレビで見てた築地場外の人ごみに辟易しつつ楽しんだ。年末仕事で忙しい夫にメールした。あんなに忙しかったのに、いつもマメに返事をくれた。


帰省する前の晩、箱根に泊まった。直前に決めたので特にいい旅館じゃなかったけど、バタバタするし多少気もつかう帰省の前に、ふたりでゆっくり過ごす時間を夫が提案してくれたこと、すごくうれしかった。


□□□


「大切な思い出があるから、わたし、がんばれる。」
「大切な思い出を、ほんとに幸せな気持ちで思い出せる日がくる。」


そう思えるようになるには、まだまだ時間も修行もたりないけど。


夫が生きた2010年が終わります。

2010年12月29日 (水)

小鳥のこえ

わたしは小鳥の鳴き声を聴くのが大好き。小鳥の気配も大好き。


今住んでいるところは住宅街で、自然がたっぷりというわけじゃないけど、東京で住んでたマンションより鳥の鳴き声が聞こえる。


へたっぴなゴルフも、夫が連れてってくれるから行けてたんだけど、ゴルフ場には小動物の気配が多くって、ハワイ島ではヤギや牛までフェアウェイを横切ってくれたり、私の後ろをカモの群れがついてきたりして…、そんなことが好きで、コースに行くのは楽しみだった。


蓼科のペンションに泊まったとき、明け方にチュンチュンと鳥の鳴き声が聴こえたとおもったら、いっせいに林全体が小鳥の大合唱になった。なぜだか夫とふたりとも目が覚めて、声をひそめて(部屋の中だから意味はないけど)、すごいすごい、と感激した。


東京のマンションは幹線道路沿いだったので、24時間車の音がしてた。カラスとハトしかいない。小鳥のいるところに遊びに行きたい~とよくわがままを言った。


夫が亡くなって一日中家に閉じこもって、眠れないまま明け方を迎えると、シーンとした朝は鳥の鳴き声が聞こえた。窓から多摩川のほうをみたら、群れになって飛んで行くのも見えた。


線路沿いの並木道でも小鳥の声はたくさん聞こえた。


夫に、小鳥の鳴き声がするって伝えたくて。鳥がいないって文句を言ってたことが申し訳なくて。夫はいないのにかわいい鳥の声がすることが不条理に思えて。


また一緒に、歩きたいのになあ。

2010年12月28日 (火)

一日いちいいこと

ちょっとずつすることやできることが変わってきた。化粧水もつけるようになったし、手入れもせずにボロボロになった手や髪をみて、これではダメだなと思う(ボロボロのままだけど)。自然とそうなったので、そのうち、美容液もつけるようになったり、爪のお手入れもしたりすると思う。一緒にケーキを食べてくれなくなったことがつらくてお供えがいやだったけど、いまは甘いものをお供えして、おさがりで一人お茶タイムしたりもするし、冷えるからショウガの入ったお茶を飲んだりする。ちゃんとお野菜も食べないといけないなって思う。
夫まかせだった愛車の洗車もしようと思う。


夫もそういう私のほうが好きだと思う。そう思えるようになった。


気持ちのアップダウンは一日の中でも激しくて、もうイヤだ!ってときもある。だけど、ちょっとずつでもやってみようかなってことが増えて、自然とできてることも増えた。


これを日ニチ薬というのかもしれないけど、今もあんなこんなツライ思いをするんだし、落ちたり沈んだりしてるし、時間がなんか助けてくれた?時間はどんどん勝手に進んで、私は置いてけぼりだった。私のもつ自然治癒力というほうが正しい。心にでっかい穴があいて、ヒリヒリとむきだしになってて、穴がなくなることはないけど、むきだしのところにちょっとずつ薄い皮がはって、おそるおそる触ってみたら大丈夫だったり、気づかずに普通どおりにできてた感じ。きっとこれは人の心に備わった力。心が弱って発揮できないときもあるし、自分で高めることだってできるはず。


わたしの気持ちが少しだけ進んでいるなら、それを夫に伝えたい。そして、いつか夫が好きで、私も好きな私になりたい。
どんなちっちゃなことでも、どんなくだらないことでも、一日いっこずつ、夫に、いいことを報告しようって思う。

2010年12月27日 (月)

どこにいるのかな

夫と住んだ家と町を離れて、なんの縁もない町にやってきた。買い物に出かけてトボトボと歩くとき、住んでた町では、夫と一緒に、ときには手を繋ぎながら歩いたことが目に浮かんだけれど、ここではそんな姿はまったくない。


私はひとりになった。

□□□

夫がもう帰ってきてくれないことがどうやら分かって、どこにいるのかな、どこかにいるはず、と思えるようになってからも、まだなかなか夫に話しかけられない。ビールやお菓子をお供えしてるのに、お仏壇にいるとも思えない。写真に「行ってきます」と言うのもまだちょっと違う気がして、目線だけ送って出かける(実家の父の写真やお仏壇には頻繁に話しかける私)。


わたしのそばにいてほしいと強く思う。でも、夫はとても行動的なタイプだから、わたしと四六時中いっしょでは、私のTKくんじゃないよな、なんて思うときもある。


おもしろいこと聞いてきていろいろ教えてくれたり、美味しいお店をみつけていっぱい紹介してくれる。わたしがぼんやりしていても、野球や観劇の切符をとって、一緒に行こうって予定詰めてくれる。わたしなんかのちっちゃな範囲におさまっていたら、TKくんは動けないから、自由に動き回って、そして「楽しかったけど、やっぱりおうちがいい!」って帰ってきてほしい。


それに、わたしと四六時中いっしょでは、わたしがみっともない様子でいるときも全部みられてたりしたら、ちょっと困る。いくら夫婦でもプライバシーがあるしなあ。

□□□

この町を歩くとき夫の姿が見えないことはとてつもなくさみしいけれど、それだけに近くにいるときは私とぴったり一緒にいてくれるだろうか。私は一人になった。一人の生活が始まった。

2010年12月26日 (日)

ひとり

新しい家にきて6日。荷物をなんとか収めて寝食のスペースを作り、築地本願寺で百ケ日の読経をお願いし、そしてお仏壇がやってきた。母がいてくれて朝から夜まで心強かったことがとても大きかった。


引越しの作業中、体調が少し不安定だった。強く動悸がして息が浅くて胸が詰まった感覚。でもストレス原因って分かってるし、カウンセリング受けて漢方薬ももらって、自覚もあるし、以前のように「不安でたまらない」ということはなかった。


夜、食事に出るときに、ようやくクリスマスだったことに気付いた。私にはそんなぐらいでちょうどよかった。


毎年クリスマスは楽しみだったな。ちっちゃいけどツリーを飾ったり、ちょっと高いワインを開けたりした。
去年は弟の家のクリスマスパーティに二人で招待してもらった。本格的なターキーを頂き、子供たちにプレゼントを用意して、私たちには特別なクリスマスだった。これからもあんなクリスマスが過ごせるとふつうに思ってた。


今年気づいたけど、クリスマスと関係なく過ごす人も多いようだし、関係なく過ごしたい人もきっとたくさんいるんだろうと思う。素直に楽しめていたことは、ほんとうに幸せだったんだ。

お仏壇のお支払のために、住んでた家の近くまで車で向かった。あんなに、あんなに離れたくなかった場所なのに、行くのが少しつらかった。
自分の気持ちなのに複雑。思い入れが強くって、いろんな感情が込み上げてくるのがこわかったりするのかな。


でもね、とてもとても幸せな日を過ごした場所であることは間違いない。わたしたちにとって、大切な場所。

2010年12月20日 (月)

ひっこし

いよいよ、ひっこし。


2、3日前までは開き直りかあきらめか、案外平静だったけど、実家の母が来てくれて気が緩んだのか、やっぱり気持ちがぐらぐらしています。


夫の靴やスーツを段ボールに詰めました。次の家に持っては行きますが、もう開けて収納する予定のないものです。


約2年前に神戸から今の家に転居してきました。


この家に転居してきたのが昨日のことのよう。どんな町かな、どんな暮らしになるのかな、ってワクワクどきどきしていたことが蘇ります。


もう何もしたくない。一人でこれから何をしたらいいのか分からない。誰とも会いたくない。


…引越のゴタゴタが終わったら、また気持ちを静かにしたいと思えるはず、と別の私が遠くから見ているような気もします。

2010年12月16日 (木)

大切なことってなに

ときどき思うことは、今年の8月まで、私は楽しくて明るくて、なんの不安もなかった(今思えば悩みや不満はくだらないことばかりだった)。突然に急激に真っ暗になって、今も暗いトンネルをヨロヨロ進んでいる感じ。


大切な人を亡くされた方達のブログを読んでいて、勇気づけられたり共感して泣いたりしながら、ふとその日記の日付のころ、私はノーテンキに過ごしていたことに気づいたりする。


いろんな状況で、いろんな思いを持った人が、同じ時間を過ごしてる。


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いつも読ませて頂いている方のブログからのリンクで、拡張型心筋症という病気とたたかっている男の子のお父様が書かれたブログを読んだ。まさに、今、大変な病気に立ち向かって頑張っている男の子と、それを見守る家族。とても大切な命。


今、こんなにがんばってる人がいる。私がメソメソ立ち止まってる同じ時間に。


夫があまりにも突然に亡くなったので、病気とたたかう状況や生きる力や命の大切さを、私はすっかり忘れていた。こんなに悲しくて、苦しくて、泣いているのは、その生きる力や命が大切だからこそ、なのに。


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わたしもがんばらなくちゃとか、メソメソしてたらだめだとか、思ったわけじゃなくて、ほんとに大切なことって実はそんなにたくさんあるわけじゃないんだろうなあと思い、それだけをちゃんと背骨に入れないといけないなあ、と思う。


こんな毎日でもいろんなことが起って、心悩ませて、苦しんでいるけど、たぶん空から見れば「たかが…」「…なんぼのもんじゃい」ってことが多いんだろう。これからだって、きっとそう。夫の命と向き合って、私にとっては究極の状態を経験しているんだから、ほんとに大切なことを探す時間が与えられてるのかもしれない。

2010年12月15日 (水)

三回目の月命日

今日は三回目の月命日。築地本願寺にお参りにいった帰り銀座でデパ地下によったのだけど、銀座は夫とよく歩いたので、苦しい。アップルストア大好きだったな…。私がお洋服屋さんに入ったとき店の外で待っててくれたな…。アバクロひやかしに行ったのも今年の夏。

地上に出ないで地下鉄で帰った。


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ものすごい勢いでモノを捨ててる。ちょっと開き直ってる。


自分のもの、二人で使ってたけど私が選んで買ったもの。気持ちのモードによっては捨てられなくなるので、つとめて無表情でゴミ袋に投入。私はなんて余分なものに囲まれているんだろう。


□□□


夫が亡くなってから、一ヶ月半ぐらいの私は完全に自暴自棄だった。今よりちゃんと立ってたし、一人でも今より泣いてなかった。坦々と事務作業をこなし、モノを未練もなく処分した。


今だから言えるけど、雑事を終えたら「世捨て」状態になりたいって思ってた。


それが究極「死ぬ」という選択でなくても、知っている人が誰もいないところに行くとか、仏門に入るとか。インドに行って行方不明になる…とか真剣に考えてもいた。覚悟もないのに軽々しくすみません、でも普通の精神状態じゃなかった。


今はそんな気持ちはあまりない(実はまだちょっとあるけど、現実的じゃないとわかり、そんな勇気もなく…)けど、自分のモノはシンプルに、身軽にしたい、と思ってる。


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自分のものをどんどこ捨てているのに、夫のものはぜんぶ引越の段ボールに詰めてる。夫のものには逆に「捨てない」っていう開き直りをしてて、これからゆっくり大切なものを探しながら整理したらいいと思ってる。


夫はこんな私をどう見てるかなってふと思う。「そんなもんぜったいいらんやんか、どないしようもないもん箱に詰めて…」と涙ぐんだりしてほしいけど。あきれてるかな。

2010年12月14日 (火)

ブログを引越しました

ブログを引越してきました。同じココログで、内容もそのまま読み込みました。コメントも読み込むことができました。これからもよろしくお願いします。

今までずっと夫のIDのセカンドメールを利用していて、このブログにもそのIDを利用しました。登録したときはあまり先のことも考えていなかったので、夫の子IDを使いたい気持ちもありました。


けれどプロバイダに転居の連絡をしたときに、夫が死亡したことを告げるとそのIDが停止されることになりました。


当然です…。当然のことなのですが、他のプロバイダで「継承」という形をとらせてくれたところがあったので、ここもそういう形をとらせてもらえるだろう…ぐらいの甘い考えをだったのです。


そしたら、できません、って言われました。


当然のことなのですが…。前例から無防備に問い合わせてしまったので、ちょっと凹みました。夫の名前で登録していたものが、どんどん減っていくのはしかたのないことですが、無防備だったので「あーー、ネットのIDまでなくなる…」。夫はきっと、ものすごく長い間使い続けていたIDです。


引越を機に、と先延ばしにしていたので、ガス水道電気新聞等も、私の名前に変更連絡をしています。
なにか残せるものはないのかな。

2010年12月12日 (日)

おうち

この家になにがあるのかなあって考える。


この家にいると夫の姿がいろんなところに見える。現実的にも夫がべたべたと触った扉や取手。


結婚してから9年の間に4軒の家に住んだのだし、この家には1年半だけ。だけどやっぱり気持ちは最新で直近が一番色が濃い。そして夫にとっては最後の家。


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夫は(私も)家が大好きだった。どんなに楽しい旅行から帰っても「やっぱりおうちはいいーーー」ってくつろいだ。仕事から帰ったときも「おうちーー」って言ってたね。


それは、この「家」じゃない。この家に引っ越してきたとき、二人でしみじみ共感したけど、入れモノが変わってちょっと配置は違っても、家の中にあるものは私達がつれてまわっているものだから、即座に安心の空間になった。


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一人で過ごしていることもあって、この3カ月お料理をしていない。お茶やコーヒーは入れるし、ラーメンぐらいは作るし、だいぶ前にお味噌汁は作ったけど、それっきり。


夫はお料理が大好きだった。ほんとにいろんなもの作ってくれたし、お客さんのときには二人でせっせとキッチンで働いた。「ぼくらすごいうまいこと分担作業してるよなあ」って言ってくれたときは、やっと大将に認められた弟子の気持ちだった。


休日の夕食のときも、二人で買い物に行ってすごい勢いで準備ができた。夫がせっせとテーブルをセットしくれて、私が材料を洗って切る。途中で缶ビール開けて、飲みながらお料理した。


だけどね、平日、疲れて帰ってきてソファでゴロンとしてるTKくんに「できたよーー」って声をかけるのも、私は大好きだった。


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またお料理したいけど、おいしいって言ってほしい。私が自分で料理したものを自己満足で一人で平らげるのをきっと夫も喜ぶ。だけどもう少し時間が必要なのです。

2010年12月11日 (土)

夫のにおい

今日は来週末引っ越す予定の部屋に行って、大家さんに挨拶して、部屋のサイズを測った。帰りの車の中でどうしようもない脱力感がやってきて、号泣しながら帰った。


どうやって次の生活を始めるのがいいのかみえないし、考える気力もいまいちない。「新生活をきっかけに気持ちも!」なんて今の私には無理じいでしかないので、なるべく目の前のことだけ淡々と、他の事務処理と同じく淡々とやっていくしかないように思う。

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私は夫の「におい」が好きだった。すごく個人的な意見だけど、ちょっと赤ちゃんみたい!と思ってた。肩にもたれてテレビを見てたり、ぎゅーとひっついたりするとそのにおいがして、夫にも「いいにおい!」って言ってたけど、本人にはもちろんそんな自覚なし。「どうせぼくはくさいから」なんて自虐的なこと言ったりする微妙なお年頃だったので。

夫が入院中のある夜、弟と家に帰ったとき、部屋の一部の空間に夫のにおいがした。リビングのほんの一部分で、しかも私が見上げるぐらいちょっと高いところ。


クンクンにおったあとで、そうか、今日はここにいるんだね、と思い少しうれしかった。


翌朝、病院に出かけるときに、弟が「○○さん(夫)は、○○ちゃん(私)といっしょに家に帰ってきてるように思う」と言った。私がクンクンしてたのを見てたわけじゃなくて、そんな気がしただけらしい。弟には昨晩のにおいのことは言わなかった。


入院中は毎日誰もいないときを見はからってクンクンにおった。夫が亡くなったときも最後まで顔に顔近づけて、におった。ぜったいぜったい忘れたくないし、忘れない。

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今日、引越先の靴箱に、一番のりの荷物で、夫と私の同じブランドのドライビングシューズだけ並べて置いてきた。それぐらいはいいよね。いっしょに引越して、いっしょにドライブするんだ。

2010年12月10日 (金)

これからもずっとよろしく

一昨日の夕方ふっと、夫はどこにいるのかな、って思っている自分に気づいてから、私の心の中に少しの変化(気づき?)がある。


私がすごく夫を必要としていて、これからもっともっと必要ってこと。


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夫といっしょに過ごしたとき、毎日が笑いや安心で満ちてて、自由に思いつくままに素でいられた、あの頃の私には戻れないし、戻ろうとも思わない。でもまたいくらかでも心から楽しんだり、笑ったりする日だってどうやらきっと来るのだろうし、来てくれなきゃ困る。


自分を楽しめるようになるには、もしかすると、前のわたしよりももっとずっと強さやしなやかさがいるのかも。でも夫がいない空虚はあまりにも大きくて、そもそも元の私だってそんなに強くない。がんばれない。


だけど、「夫の存在」を感じられたら夫が助けてくれるんじゃないか。どこまでも夫を頼ろうとするバカ嫁だけど、私の知ってるTKくんはきっと私を助けてくれる。


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三ヶ月間、私はだれよりも夫に対して心を閉ざして過ごしてきたんだな、ごめんなさい。でも必死だったから。それに今だって、これからもたぶん、なかなかとびら全開にはできないと思う。だって、いつものように隣にいてほしいし、でっかくてあったかい手で私の手を握っててほしい、これがほんとの気持ち。


昨日も今日も、メソメソして、突然大声で泣いて身震いして、駅前の商店街に夫の姿を浮かべて苦しんでるけど、ちょっとずつ、心をひらく、ってどういうことなのか、私なりに考えてる。

2010年12月 9日 (木)

思慕

ふっと夫のこと「どこにいるのかな?」と思った。いないことにとらわれて、いないことを認めたくない気持ちも手伝って、ずっと夫の魂の存在を考えるのを避けてた。でも、いつのまにか、どこかな?って思ってた。おばあちゃんやパパが見てくれてるって思ってる私なんだから、そう感じるのはきっと自然なこと。


夫の死という信じたくない現実で、自分のまわり半径数センチで前後数秒を過ごすこと以外に思いをはせることができなかったけれど、その範囲が少しは広くなったように思える。夫も行動(?)範囲をもっているような気持ちになってた。


こうして着実に時間が過ぎていくことはさみしいけど、毎日なんのためだか分からないまま、なんだかせいいっぱい過ごしてきたんだから、それなりに少しずつ自分も変わってはいるみたい。


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入院中、私は彼の意識体みたいなものに真剣に話しかけた。魂っていう言葉であってるのかはわからないけれど、他に思い当たらない。


夫が倒れて回復を待っていたときは、夫の父と私の父に、お願い、お願い帰るように言ってくださいと祈り、10年前に天国に行ってしまった夫の友人にも願った。


病室でみんなが夫の周りでワイワイ言ってるときなんか、私はときどき天井をみあげて、上から自分たちを見てるのじゃなんて思ってた。意識が戻ったとき、○○ちゃんと目があったよな!なんて言ってくれるの想像してた。


意識がもう戻らないって宣告されてから、命だけを医学の力でつないでもらっている状態になってしまったとき、天国の友人の姿は見えてるのに近づけないって困ってるんじゃないだろうか、と思ったりもした。


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いくつかの家具と小物を詰めた段ボールを、夫の実家と私の実家に送った。夫の日常に、二人の生活に、あたりまえのように存在していたモノたち。家族に使ってもらえることになってよかった。


部屋に、現実の空洞ができてしまった。


引越前の心の準備になったかな。逆に、引越のときはこんなもんじゃないだろうという不安。また鉄仮面の心でその数日だけ乗り切れるかな。

2010年12月 8日 (水)

ひどい夢

今朝、すごくひどい夢で目が覚めた。あまりのショックで、おふとんかぶって泣いてしまった。

夫と京都のお料理屋さんで待ち合わせしていた。いつか行きたいねって言ってたなかなか予約が取れないお店。

夫の顔色がすごく悪くて、とてもつらそう。私の顔を見て頭をもたせあげて笑顔を作っていたけど、あまりにもしんどそうだったので、私は夫の顔に抱きついて、無理しないで無理しないで、って言った。

これだけ。ここらでぼんやり夢から覚めた。

夢の中で、わたしはどうやら「夫とは会えない」状況になってた。ようやくなんとかして、こっそりと会う約束をした設定。

現実の夫は倒れてから亡くなるまで意識が戻ることはなくて、顔色が変化することはあっても、あんなにつらそうな表情を私は見ていないのに…。


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夢はきっと私の中にある気づかない何かで私自身が作ってしまったもの。そう思おうとはしても「TKくんしんどいの?」って思ってしまい。


これまでも夫の夢を何回かは見てるけど、いつも私は夫がいなくなることを知っていて、夫は元気で、私はその時間を惜しんだり、焦っていたり、もがいたりしてる。でも、今日のは・・・。


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文字にして書くのはやめようかと思ったけど、口に出して言えない正直な気持ちを見つめなおすためと割り切っている日記なので、書きました。

あああ、なんなんだ。
今から税務署行ってきます。

2010年12月 7日 (火)

わたしのこころをしめているもの

わたしのこころをしめているもの。


今日、いまからしようとしていること。

来週、来月、来年、しなければならないこと。

友人とのやりとり。

自分への反省。

人へのいらだち。


この道を夫と歩くことはもうないこと。

夫がもう大好きな車に乗ることはないこと。

夫と美味しいものを食べることができないこと。


この街を一人で離れること。

これからずっと続く、わたしの孤独。


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ぜんぶ、これから先のことや、これまでに起った過去のことだ。

いまは、一歩一歩、歩いているだけ。

ほんとに、いま、心のなかにあるのは、かなしいという感情だけ。


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今日、働いていた派遣会社とのやりとりでものすごくくだらないことあって、久しぶりに怒ってしまった。イライラした気持ちを落ち着かせよう…として、なぜかふーと心に浮かんだことがある。


あれこれ考えるのはやめよう。今は、生きてて、食事して、寝て起きてるだけでも、よしとしよう。
こうして動いてる自分のこと、がんばってるものとしよう。


それでいいや、と思おうと、思います。

2010年12月 6日 (月)

ゾウに乗って

「もしTKくんが死んだらわたしも死ぬわ」


二人とも元気でまったく真剣味のないときの会話で、私が遺されたらいやだっていうただそれだけの思い。実際にそんな状況になってしまって「わたしも死ぬなんて言ったけど、ほんとに死にたいけど、でも、できない」と、なんども思った。


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夏休みはプーケット島だった。ビーチやプールでただただノンビリする、私達にはめずらしい贅沢な旅行だった。


一日だけ観光らしいことしよか、とゾウに乗った。


ゾウ使い(?)は怪しげなミャンマー人で、もちろん保険なんかかかってると思えない。ゾウがぬかるんだ崖の際で草むらを物色しはじめたとき、「ゾウの体重でこの崖が耐えられるか?」と急に不安になった。ゾウが転んで一回転したら二人とも圧死。滑って斜めに転んだ場合は私がゾウの下敷きになって、夫は跳ね飛ばされてしまう。


妙に「死」という不安感をおぼえ「ちょっとちょっと」と騒ぐわたしに、ゾウ使いは「ノープロブレム」と無愛想に言った。


そのほんの数日後に、夫だけが病で「死」に直面してしまった。


□□□


二人でゾウの下敷きがよかった。ゾウじゃなくてもいいから二人いっしょがよかった。


でもときどき思う。つらい気持ちで苦しいときに思う。わたしがいなくなっていたら夫はどんなだったかなって。夫が私のこと思い出して泣く姿を見ずにすんで、それを引き受けたのが私でよかったって、ときどきは思う。


□□□


昨晩は夫の高校時代の友人が電話をくれて、たくさん話を聞いてくださった。彼自身もお子さんを亡くすというつらい経験をされた。つらい経験、したくない経験だけど、それを経た人の言葉はすんなりと心に届く。


TKくん、みんな気遣ってくれる、ありがとう。


でも、TKくんがいないことをうめてくれるものは、どこにもないんだよ。

2010年12月 5日 (日)

かたみわけ

昨日は引越前の一大イベント、夫の家族が来宅した。


かたみわけが主な目的だけど、ちょうど時期が重なったので神戸の自宅マンションの相続のお話も進めさせて頂いた。分割については来年改めてご相談ということで、いま賃家にしている自宅マンションだけ先に名義変更させていただけることになった。でっかい肩の荷がおりた。義兄と義母にほんとに感謝です。


かたみわけは事前にある程度めぼしいものをリストアップして、いろいろ選んでいただいた。甥が来年から社会人になるのでビジネスバッグや名刺入れを使ってもらえそう。


義兄も義姉(義兄の妻)も夫が最後のときを過ごした街をしみじみと見て、いいところだね、となんども言ってくれた。ね、わたしたちのお気に入りの街だもの。


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夫は義父のことが大好きだった。とても尊敬していた。私自身もちょっとファザコン気味なので、そこも夫との共通点だった。


義父は夫が学生で20歳のときに亡くなった。夫と同じで心臓の病気だけど、義父は15年間闘病されたそうだ。夫から聞いた私の義父のイメージは「厳格で、バリバリの仕事人間、だけどとても人間的」。すこし癇癪持ちの、昭和ヒトケタ世代の威厳のある一家の主だったんだと思う。


結婚したとき私達二人とも父が亡くなっていた。親戚の披露食事会のあいさつで「ぼくも○○○(私)も一番報告したい父はここにはいませんが」といって声を詰まらせた夫のこと、昨日のことのように思う。


夫は結婚する前から転勤続きで10数年一人ぐらしをしていたが、彼の部屋には義父の愛用品がいくつもあった。わたしはその物持ちのよさと、お義父さんを懐かしむ夫をとても素敵だなと思った。ちょっとレトロで私も好きだったので結婚してからも大切に使った。


そのうちの一つ、折りたたみの文机は夫の実家で使ってもらうことになったので、私はマガジンラックだけ持っていこうと思う。あとは、ごめんなさい、お義父さん、しっかりしたもののこしてくださったので、長い間愛用することができました。


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義母と義姉は昨日とにかくよく泣いてよく笑った。私は毎日囲まれているものたちだけど、彼女達はそれを見て夫を思いだす。義父の品を見て「ええ子や!」「親孝行や!」と言って泣いた。「○○○(夫)は充実した、太くて短い人生だった!」「生ききった!」と言った。義母と義姉が自らを納得させるために言い聞かせていることは分かっているのだけど、私の心はその気持ちを受け入れることができない。あきらめられていない(こころ)…あきらめざるをえないのに(あたま)。


わたしは泣かなかった。泣いたら、かたみわけなんてできない。でもお義母さん、泣いてないからって平気ってわけじゃないんです。泣かない。泣けない。今は心に膜を張らないと動けないです。冷静でしっかりものの嫁ですが、正体はボロボロです。


覚悟していたのに…、自分でリストアップもしたのに…、わたしには使うことのできないものなのに…。夜、家で一人になったらさみしくてさみしくてたまらない。どうして、こんなことしてるのかな。どうして、TKくんのものを手放すことになったのかな。もう、いらないの?もう、つかわないの?もう、かえってこないの?答えはわかってるから、たまらない。

2010年12月 3日 (金)

お仏壇さがし

今日お仏壇屋さんに行った。引越のことを菩提寺さんにご相談したところ、住むところが落ち着いてから用意したらいいよ、とおっしゃって頂いたので、今ごろ探しています。


ワンルーム仕様のマンションでの一人暮らしなので、スリムな家具調のお仏壇にしようと思います。


実家のお仏壇とぜんぜん違う最近のお仏壇にびっくり。へえ、へえ、と感心しながら説明を聞いてまわり、ふと、「なんで私お仏壇なんて探してるのかな」って想いがちらりと心をかすめる。


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転勤族だったし、家具好きなので家具屋さんになんども行った。新しい暮らしに合わせて少しずつ買い揃えた。だいたい私が一人で下見に行って、決められずに夫に見てもらい、さらに迷う…。


家も、家具も、雑貨も、いつかお気に入りに出会えるもの、と私は思ってる。探しているうちに、あ、こんなところで!という場所で見つけたりする。そういうときもいつも夫に相談して、夫の気にいるかが一番大きなポイント。あまり興味がないときは「○○ちゃんが気にいったならいいよ」っていう。気にいったときは明るく「いいやん!」。そんなとき、すごくうれしかった。


共通の好みは、シンプルな中に、こだわり、そして機能的。
でも最初からそうだったわけじゃなくて、きっと、いっしょにいる時間の中で二人でつくってきた感覚だと思う。


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TKくんがいなくなって、お買いものが楽しかったことなんていちどもないけど、お仏壇買うのは、ほんと気分がのらないよ。でもちゃんと選びたい…とも思ってしまう。


それにしても、お仏壇屋さんは不用意な発言はまったくなさいません。さすが。


引越の見積りの人なんて、依頼書に一人って書いてるし、遺影とか目の前にあるのに、「お引越はお二人ですか?」なんて言うんだよ(荷物が二人分だからだろ)。二人デスって言ってやればよかった!その業者さんはお断りしました。

2010年12月 2日 (木)

カウンセリング

今日はクリニックの日。「主人のこと考えていて、苦しくて重いのに、涙がでないときがあって…」と話した。先生は「まだご主人がいなくなったことを100%認められていないのだと思いますよ」とおっしゃった。


昨日もお買いもの中、ふと「ああ、最近白和え作ってないな、TKくん好きなのに」って思った。思考回路は夫がいるときのままなんだな、でもいないこともよくわかっているから、混乱しているんだ。


だんだんと夫がいないことが分かってちゃんと悲しめる。妙にイライラもしなくなる。いつか自分から出かけたいという気持ちになる。…先生は断言。


それもさみしいことのように思う、矛盾してる私。


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「気晴らしに出かけたほうがいいよ」とか「お仕事は?探してるの?」なんて人に言われて、どうしてもあせってしまうのだけど、「今はしたくないと思っていることで無理に動く必要はない」「だからってこのまま病気になったりしませんよ」って言われた。


そう。「わたしこのままじゃおかしくなるんじゃないか…」っていう不安感があったんだと思い出して「そうですか!」と言ってしまった。


義母恐怖と引越のストレスを乗り越えられるかが不安で通い始めたカウンセリングだけど、実際すごく救いになってる。


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こないだまでいっしょにごはん食べた。この缶詰、タイで買ったのも夫。
何もかもが元気な夏の日のまま。時間だけ過ぎて夫がいなくなったが故の作業はどんどん進む。
でも、なんでいないのか、やっぱり分からない。

2010年12月 1日 (水)

荷物の整理

引越業者の方に見積りにきてもらった。うちはそもそも荷物が多いし、今回は「不要品」として処分すべきものがたくさんある。


今日は、細かいものをすこし整理した。なんの未練もなく捨てられる生活用品はどんどんゴミ袋へ。でもときどきハタと手を止めてしまう。お弁当箱とか、クーラーボックスとか、旅行用品とか。迷ったものは思い切って処分にした。


淡々と作業できた。でも、ここ1カ月ぐらいの経験で、淡々と調子にのっていると、どーんとヘコむのを知ってるので、やりすぎないで今日は終了。


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ときどきお弁当を作って、公園やビーチに行ったりした。ビーチでは、夫(私も)の超お気に入りの簡易テントを広げて、ビールを飲んで中でお昼寝。毎回、「これ、ほんといいよね」と言いながら片付けた。


私が、お弁当作るの面倒なんて言ってみると、夫は自分でお弁当を作ってくれた。料理が大好きで、なにやらオカズをたくさん買ってきて、たわらがたのおにぎりを上手に作って、きちきちと詰めてくれる。お弁当箱は三つぐらいあって、一つはフルーツでいっぱいだった。


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夫自身のものはまだ手をつけられていない。「これを機会にある程度は」と思ったこともあったけど、「いやいや、一緒に引越して、新しいおうちはここだとちゃんと分かってもらわなきゃ」とヘンな言い訳をして、ぜんぶ持っていくことに決めた。往生際の悪い私。


いつかきっと「わたし、なにやってんだ」と思える日も来る。少しずつ整理したらいいよね。


不燃ゴミの日は、引越まであと2回。

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  • ウ525
    2010年9月46歳夫突然死。子どもなし一人暮し。なかなか元気でませんが、マイペースで生きてます。 twitterアカウント:usako88chan instagramアカウント:usako88
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