« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月29日 (月)

瞑想

今朝は胸がつまるような息ぐるしい寝起きだった。何日かおきにそういう思いにとらわれる。病院で見せられたレントゲン写真がなぜかとつぜん目に浮かび、なかなか離れなかった。


後悔にとらわれるとき、悲しみにどっぷりつかるとき、放心状態。ドロドロ、サラサラ、たんたん、ときどきイライラ。くりかえし。


□□□


先週から瞑想を始めてみた。


先週の火曜日「お釈迦様の瞑想」の初心者指導を受けた。ヨガに通っていたときから瞑想にも興味があったので、前からインターネットや新聞で見ていた瞑想講座に申し込んだ。


この瞑想は、思考することは「妄想」であり、妄想(煩悩ともいえるのかな)をとりさるために、脳を感覚に集中させる訓練をするもののようです。


とても奥が深いのでとても理解はできていないけれど、家で実践してみています。がんばって瞑想しても方法が間違っているとなんの意味もないらしいので、いちおう本も買ってみた。


人が生きることは、「苦」なのだそうです。


□□□


私が神戸で通っていたヨガ教室は先生が自宅の一部をスタジオにしていた。


先生は私のちょうど一回り年上の方で、若々しい美人で、明るくて、スタイルもよくて、ヨガで得た魅力だけじゃないのはよくわかっているけど、先生に憧れる気持ちもあって、ヨガ教室が大好きだった。


あるとき、たまたま先生と二人になった時間があり、先生が前に住んでいらっしゃった地域の話題になった。

「主人の会社の社宅に住んでたんですよ。7月に亡くなったんですけどね。」


今思えばとても申し訳ないんだけど、あまりのことに私は聞きなおしてしまった。


それは12月のことだったので、ご主人を亡くされてからまだ半年も経っていなかった。先生はご都合で代理のインストラクターを使われることも多かったので、そのころお休みされてたのだと思うけど気づかなかった。教室ではそんなご様子は全くなかった。

「生徒さんもほとんどご存知ないんだけど」


ほんとに驚いてしまい、かける言葉が浮かばなかった。何か言ったかさえ覚えていないけれど、不用意なことを言ったかもしれないな。


あのときは、そこまで思いを寄せることができなかったけど、すごくおつらかったと思う。


そう思えば思うほど、ヨガ教室での先生のお姿はほんとうに素敵だったなあ、と思う。

2010年11月28日 (日)

運命とか偶然とか

夫が倒れなんとか命を助けていただいた日の夜、家に帰された。帰り道、Tシャツから出ているに二の腕にヘンな感触があった。ちっちゃい鳥のフンがついてた。生まれて初めての経験だった。


なんと!「ウン」がついた!と思った。


翌日、病室で意識が戻らない夫の耳元に向かってそのことを報告した。こんなタイミングでこんなことが起こるなんて。その翌日もその翌日も話した。


でも、その次の日、夫の意識はもう戻らないと医師に宣告された。


□□□


夫は意識がなかったが一時心臓は助けてもらえた。夫の回復を信じて、私はずっと思ってた。

「あんなに私を大切にしてくれたTKくんが、わたしを悲しませるはずがない!」

でも、夫は戻ってこなかった。


□□□


夫は一週間の夏休みの最終日の朝に家で倒れた。夫の最期は、私と二人でみっちりゆっくり楽しい時間を過ごしたことになる。夫が倒れることが決まっていることだったのなら、いい時間を過ごせたのかもしれない。


それが運命だったと受け入れるなら。


でもわたしにとっては、すべての偶然が悪いほうに連鎖したように思える。あの前日の食事が悪かったのでは、とか、夏休みの旅先が違っていたら、とか。堂々巡りの妄想の渦。


あの一瞬を乗り越えることができていたら、私達にはまだまだ何年も一緒にいられた時間があったかもしれない、と考えてしまう。医学はそのために発達し、お医者様があんなにがんばってくださってるのだとも思う。


運命ってなんだろう。

2010年11月27日 (土)

新大久保へ

昨日、友人に会った。高校時代の友人で、京都から出張で来ると連絡があった。


私は仕事もやめてしまって、ほぼひきこもりの毎日。夫の会社の同僚の方々と会うのに何度か新宿に夜出かけたけど、用事もなく「人に会う」のが目的で出かけたのは、夫のことがあって以来初めてだった。


友人の都合で新大久保で待ち合わせることになった。店は違うけど、夫が倒れる前日、二人で新大久保でランチした。二人で汗かきかき参鶏湯をウマイウマイと食べた。新大久保か…と、モヤモヤした苦手意識が出てきたけど、それも第一歩だ、と思った。


友人の近況の話しとかできたらいいなって思っていたけど、ビール飲んで、やっぱり夫の話しとか私の今の現実的な話しを聞いてもらった。時々ちょっと涙が浮かんだりしたけど、笑ったりもできた。死別体験と関係ないけれど、気持ちが楽になるかもしれないといくつかの本を紹介してくれた。


数年前に結婚を目前に失恋をして精神的につらい日々を送り、敬虔なクリスチャンになり、今は仕事に打ち込む元気な独身の彼女。

そんなにつらい思いをするぐらいの人に出会って結婚できたことが、うらやましい気もする。
でも、だから、苦しくて、つらいね

ってなんどか言ってた。


□□□


彼女は遅れてだけど、お通夜に来てくれた。そのときの私、やっぱり外から見ると普通だったみたいで、どうやら、ヘラヘラと笑いかけてもいた、らしい。


そのとき、義母はすごい泣いてはった、らしい。


知らない会社関係の人には彼女以上にそう映ったかもしれない。私達がめちゃ仲のいい夫婦だったことを知ってる人なんかは、逆にひいたかしら。人にどう見られても関係ない、って思ってはいるけど、やっぱりちょっと気になってしまった。


笑顔まで作ってたとは我ながら思ってもみなかったよ。ごめんよー、TKくん。

2010年11月25日 (木)

わたしの不安

今日は、クリニックの日だった。カウンセリング初回で、受診のいきさつとか私自身について聞かれ、特に夫のことや今の状況について多くは話さなかった。


帰り道、夫が歩いた道、買い物したお店、入ってたラーメン屋さん…、あらゆる場所に、ふだんのそのままの夫の姿がいっぱいいっぱい目に浮かんだ。

二人でいっしょに過ごしたこの土地から、夫の姿のない場所に引っ越すのが、不安でたまらない。

いつも一人の殻に閉じこもっているから、こうやって外の刺激を受けると、たちまち気持ちが不安定になる。


□□□


なんで、ずっと食欲がないのかな。
なんで、なんにも興味がわかないのかな。
なんで、こんなにずっと殻にとじこもっているのかな。


一人でもがんばる、私自身のなにかがないからかな。


こんなにも夫に依存してたのかなあ…と情けなくて、今日は自己嫌悪の涙。

2010年11月24日 (水)

シーツの洗濯

今日、ベッドのシーツとタオルケットを洗濯した。私はリビングにふとん敷いて寝ているので、ベッドをそのままにしてあった。来週末、夫の家族がやってくるので、いくらなんでもあかんかなと思い、いよいよ洗濯した。


お天気もいいし、今日はわりと平穏な気持ちなので、この勢いやわ、と思ったけど、ちっちゃくたたんだタオルケットや枕に顔をうずめて、わんわん泣いてしまった。


洗濯した。ずっとできなかったこと、いっこ、がんばった。


□□□


こんなよわよわの私を知らんのに、一人でなんでもしてえらいなあ、とか、わたしだったらできない、とか、いうなーーっ

わたしだって、したくないっ

だれがしてくれるんっ


□□□


よわよわの自分を知ってほしいなんてちょっとも思ってないのに、つよいね、しっかりしてる、元気そう、と言われると抵抗を感じるのはなぜ? 実際そんなにしっかりできてもないんだし、相手はほめてくれているんだよね。冷たい人間と思われる? そんなんでもないように思うし、そもそも夫への気持ちなんて他人に関係ない。


かけてほしくない言葉は、自分が受け止めなければいい。
そう思っているのに、ちょっとつもってしまった。


書いたら、少しすっきりした。


□□□


夫のにおいのするものは、まだまだ家中にある。

でも、ものが少しずつなくなっても、ずっと先になっても、ぜったいいつまでも覚えているよ。わたしはTKくんのにおいが大好きだから。

2010年11月23日 (火)

後悔の波

今朝、苦しい波がやってきた。


夫は朝起きるときに倒れ、私はそれで目を覚ました。その朝のいろんな後悔が罪悪感になって、静かなときもあれば突然大きくなったり、波になってやってくる。


小波はふとしたときにもおこる。だけどそれにどっぷり浸かって、夫がくれたおっきな愛を否定してしまうようなことになったらだめだって、ようやく思えるようになった。これも乗り越えたらなくなるものじゃなくて、受け入れてかないといけないんだと思う。


□□□


お葬式の後しばらく、救急車のサイレンを聞くと、ああ、どうか助かりますように、と感じることが多かった。


最近はサイレンの音がいやだなと意味もなく思ったりするので、前と違う、と感じていた。
仲良さそうなカップルや元気そうなおっちゃん達をなんだかうらめしげに見てることも多い。


今日、駅でカップルを見たとき、大切な人との時間が幸せに続くといいな、と他人のことなのに思ってるのに気づいた。自分が悔いの波に飲み込まれてるときは、私はなぜか人の幸せを願うみたい。自分の気持ちってほんとによくわからない。


帰り道では、おっちゃんたちが酒盛りしてるのを見て「あんたたちは元気でよかったね・・・」、鼻の先がツンと痛くなった。


波も大小だし、浮き沈みもはげしい。

2010年11月22日 (月)

洗濯もの

夫はまあまあ体が大きかったので、洗濯はいつもかなりの量だった。Tシャツなんか洗うとき、夫の1枚は私の3枚分ぐらいあるんじゃないか、と思ったりしてた。


私が洗濯がちっとも苦じゃないのを知ってたくせに、「○○ちゃんに迷惑かけたらあかんから」とふざけて言って、同じものを何度も着ようとした。


私は、夫のでっかいTシャツの横に、私のちっちゃいTシャツが並んでるのを見るのが好きだった。


ジーパンを並べて干してるときも、「大人と子供みたい」って思ってうれしくて、夫に報告しにいった。
彼は、そんなのはどうでもよかったみたいだった。そんなに違わんやろ、って言ってた。


洗濯もの見てうれしいなんてバカップルか新婚さんみたいだけど、今年の夏のことだった。わたしはそんなくだらないことが、しあわせやなーと感じてたみたい。でっかい夫に守られてる感じがした。「しあわせ」って改めて思ってたわけじゃないけど、こころがポカポカしていた。


□□□


夫は耳掃除が大好きで、昔ながらの竹の耳かきが手放せなかった。新婚旅行のホテルで見つけて買ったハイテク孫の手もすごくお気に入りで、しょっちゅう背中をかいてた。ベッドサイドのいつでも手の届くとこにおいてた。今も置いてある。


すごい嫌がってたけど、へそのごまを私が綿棒で掃除してあげるのを、そのうち観念してちょっと喜んでるときもあった。


そんな、無防備な、なんでもない、おっちゃんな夫の日常を思い出すとき、つらい。そんなことを思い出せなくなるときが来たらどうしようかと思っても、つらい。どっちがいいのか、わからなくなって、また泣く。


□□□


病院で、先生にあと2、3日って言われた。そのあとで、初めてお会いした看護主任の方が「ご自分の寝間着があったほうがいいですね」っておっしゃった。治療の都合で病院のものを着ていたけど、今は普通ので大丈夫だということだった。


着替えも含めると最低3着は必要になる。先生に2、3日って言われてたから、少しだけ驚いたけど、私はすごくうれしかった。


夫は意識がなかったので、病院に行くといってもそばで手をにぎっていることしかできなかったから、夫のためにできることが、まだ少しだけでもあることが、すごくすごくうれしかった。


ある看護師さんが「○○さんのお部屋はおうちの匂いがします」と言った。洗濯もののせいかなって思ったけど、それもすごくうれしかった。


結局、3着は2回づつ着ることができた。

2010年11月21日 (日)

神戸 と あせり

今日はわたしの父の十三回忌法要のため、神戸の実家に日帰りした。

前日から来れば、と母は言ってくれたが、夫と一緒にいるこの家から離れたくない気持ちがして・・・。神戸にも一緒に行ってくれる、なんて、まだ思えない。

8月のお盆休みに帰省して、次は11月の法事だね、って別れた私の親戚。

法要後の食事。夫が絶対「おいしい」「ええ味や」って喜んだと思うと、あまり食べられない。私を気遣ってくれる母の顔を見たら、「もったいないね」と言って泣いてしまった。

今日、みんなの前では泣かないようにできるわって、思っていたのに。

甥と姪がかわいいことをする。夫は、すごくかわいがってくれた。もう、あかん。

食事が終わるころに、母が「早めに退散してもいいよ」って言ってくれた。


□□□


伯母、伯父らが、「人の人生ってわからんなあ」って話してるのが聞こえた。お盆のときの夫の話題だった。

確かにそうだけど、人ごとみたいだな。人ごとだもんな。


□□□


仕出しのお食事が「むかご」のおこわだった。

大好きな母方の伯母が、むかし作ってくれた炊き込みご飯を思いだした。

伯母は今回やさしいことばばかりかけてくれる。お葬式のときも、電話をもらっても、伯母の声を聞くとかならず泣いてしまう。高齢の伯母にこんなに心配をかけることが申し訳ないんだけど。今日はあまり話しできなかった。


□□□


あせり・・・


● 四十九法要のときに、夫の家族とすごくズレを感じて。みんな泣いたりはしてるけど、わたしと違って消化できてる感じがした。孤独感と、少しの焦りを感じた。

● 以前よりガクりと落ち込んでるのが自分でもわかる。引越するのがこわくなってきて、カウンセリングを予約。

● 今日。夫がいるべき場所に夫がいないこと、いつか受け入れることができるのか。この苦しい気持ちはいつまでもいつまでもなくならないんじゃないか。苦しい気持ちに耐えられない、行動できない自分へのあせり。


夫がいなくなることが、こんなにもこんなにもつらいなんて、思ってもみなかった。

2010年11月20日 (土)

部署の方にいただいたアルバム

会社の部署の方々がアルバムを贈ってくださった。全員から夫へのメッセージつきだった。大所帯だったので、なかには「ほとんど接触がなかったね」って思えるのもあって、それはそれで会社での夫の様子が目に浮かんだ。


□□□


葬儀のとき、現実感がなかった。段取りどおり言われたことをするだけで、親戚がわあわあ言ってるのを聞いてた。夫がはずかしい思いをしないように、ただそれだけでいいと思った。お別れの儀式だといっても、わたしは「おわかれ」をみとめられてはいなかった。


たくさんの方に声をかけていただいた。夫を思ってくださることに感謝したし、わたしを励ましてくださる声には素直にありがたいと思えた。泣いてる人が驚くほど多かった。

当然だけれど、弔問客の大半は会社の方で、そのほとんどはわたしは面識がない。

女性がわりと多い職場で、私と同年代の方が多い。彼女らの涙をみて、「泣かせてるよ・・・」なんて思った。


わたしの知らない夫の姿・・・

疎外感というのでもないけど、不思議な気持ちがしてた。


□□□


アルバムの一つ一つの夫へのメッセージから、仕事中の、朝礼での、飲み会での、夫が周囲に見せる気配りや、真面目に仕事に取り組む姿が、目にうかぶようだった。

私は会社での夫は知らなかったけど、きっととても尊敬できる。自慢の夫だと思う。

葬儀のときに感じた、薄い疎外感のような不思議な感覚が、消えたように感じた。


□□□


お礼の気持ちを、なるべく感情的にならないように、夫自慢にならないように・・・などと読み返しながら書いて送った。


そしたらね、課長のNさんからメールもらったんだよ。
アルバムのメッセージは彼女の発案で、わたしがどう思うか不安だったけど、気持ちが伝わってうれしいです、という内容でした。


夫の机の上には毎日、白いお花がお供えしてあるそうです。

ありがとう。切ないけど、うれしいです。

2010年11月19日 (金)

写真 と わたしのいたみ

パソコンは6年以上に買ったもので、最近はあまりの動きのにぶさに辟易していた。このネットブックがあるので、のんびり構えていたけど、ときどきはパソコン売り場に二人で見に行ったりもした。


引越先は大き目とはいえワンルーム仕様なので、家具のいくつかは処分しないといけない。PCデスクは処分するつもり。


写真をちゃんとバックアップしておきたい。最近、強くそう思っていたので、ハードディスクにバックアップをした。ネットブックにもコピーした。


思い出の写真をたどるなんて、とても無理って思っていたけど、もし失ってしまったら後悔どころじゃないので、重い腰をあげた。


結婚した当初から比べると、年々だんだん枚数が少なくなってるのがちょっとさみしかった。出かけたりはずっとしてたんだから、もっと写真をとればよかった。でも、それだけ二人でおしゃべりしたり、その場を楽しんだり、ゆっくりできてたんだよね。


ヘンがおの夫
男前の夫
わたしの家族と楽しんでくれてる夫
甥をかわいがってくれてる夫
まだ煙草をすってたころの夫

動物ずきの夫
旅先でくつろぐ夫
家でくつろぐ夫
車ずきの夫
食べてる夫

二人でうつる写真


夫が撮ってくれた、わたし


夫の目がやさしくて、とてもとても好きでいてくれたんだな、って思うと涙が止まらない。


たった10年だったかもしれないけど、その形はすこしずつ変わってきたかもしれないけど、ずっと楽しくて、ほんとに幸せそうな写真ばかりだった。


ぜったいつらい作業になると思っていたのに、ヘン顔をみて笑ったり、こんとき楽しかったねと思ったり、いろんな思い出でなんだかあったかい気持ちになれた。わあわあ泣いたり、ほんわかしたり、笑ったり、なんとも不思議な時間だった。


なぜか、この幸せは今はもうない、これからもずっとない、という涙じゃなかった。夫の笑顔が語りかけていてくれたからかもしれない。


□□□


わたしのいたみ・・・
くるしいきもちはあまり涙につながらない。もやもやと暗いものが胸に広がって、やりきれない。胸がくるしくなる。かなしみやさみしさとは違う。ネットや本に逃げてしまうことも多い。


● 救急車の音
● 倒れた朝を思いだすとき
● まだ使うことのできないベッド

● 夫が飲んでいた血圧とかの薬
● 夫が使っていた血圧計とノート

● 窓から病院の方角をみるとき

● ものを処分するとき


首、肩にかたまりがのっかっているような感覚もある。息のつまるような感覚や、動悸。この気持ちがいちばん体調に影響してるような気がする。自分ではどうしようもできない、とりかえしのつかない申し訳なさ。

2010年11月18日 (木)

「わかってくれない」 と 私の体調不良

今日、心療内科を初めて受診。カウンセリングが目的だけど、まずは診察。

体に自律神経系の不調があらわれてはいるけど、死別後の反応としては問題ない範囲、ということで、漢方薬を処方してもらい、次回から臨床心理士の方のカウンセリングを予約した。


私の体調不良・・・

● 寝つきの悪さ、浅さ
● 動悸、胸のつかえ
● 腕、指先などの不快感(力が入らないような感じ)
● 肩、首のこり
● 緊張感


体が自覚してしんどいなと思い始めたのは、今月の初めぐらい。腕に力が入らない感じが、かなり気持ち悪い。

体調不良はやりすごせる範囲だけど、精神的にかなりローになってるのが自分でもわかる。引越、相続・・・わ~~って頭がぐるぐるしながら、このまま引越するの、わたし大丈夫だろか?って不安になり、カウンセリング受けられるところをネットで探した。


□□□


先生が「家族や友達などちかくに話せる人はいない?」っておっしゃった。

いるさ。たぶん「聞いて」っていえば、聞いてもらえる。でも、なにを聞いてもらうのか、です。

人に話すと、どうしてもそんなに弱音をはかない。あまり心配させないようにしたいと思ってしまう。最近さすがに弱気なメールとか送るけど、最後に「でもだいじょうぶ。ぼちぼちがんばる」っていれてしまう。

相手の反応に、ずれも感じる。二か月たったから直後よりちょっとずつ落ち着いたかな、ってそりゃ普通そう思うだろうし。

「わかってもらえないって思うとよけいしんどいから、話すのやめよ」ってなってしまいがち。

だれかに聞いてもらう、って案外むずかしい。

そういうのも、先生にとっては、フムフム、そういうもんだよっていう感じだった。


□□□


前は泣いたあとに小説なんかが読めてたのに、最近読めない。
そういうとき、本とか読まないで、泣き切るまで泣く時間にしたほうがいい、って先生に言われた。
気分転換は、お日様が明るいうちに体を使う運動するのがいい。でも、気分転換しようとして、余計落ち込むようなことになったらいけない、って。


なかなか、用もないのに、人がいるとことか行く気しないんだよね。最近とくに。


気持ちいい、自然も、苦手。
お日様浴びたり、小鳥の鳴き声を聞いたりして、
きもちいいねーー!って夫にいいたい。それで落ち込むから。

2010年11月17日 (水)

結婚記念日 と わたしの感謝

今日は、結婚記念日だった。


家でお祝いできるときもあったし、食事にいったりもした。一泊旅行したときもあったよね。外食も旅行もいっぱいしたけど、毎日、おつかれさーんって乾杯してたけど、「結婚記念日のお祝い」って乾杯するのはとくべつうれしかった。

会社から帰ってくるときは、お花を買ってきてくれた。

去年は仕事休んでホテルの中華料理行ったよね。

いつも、乾杯するとき、「いつもありがとう」と「これからもよろしく」って言った。

これからも、ずっとよろしく、って手紙に書いて渡したこともあった。


今日、二人で乾杯もできずに、一人で家に閉じこもっていることが、なぜだかよくわからない。ただ苦しい。

でも「ずっと」はこれからもずっと、そう思っています。


□□□

私の感謝(夫への)・・・

◎ 夫がみんなに愛される人だったから、みなが私を気遣って、助けてくれること。「ありがとうございます」といいつつ、こころの中で「TKくんのおかげです」といつも思っています。

◎ 夫がたくさんの知り合い、友人にわたしを会わせてくれたこと。どこでもちょこちょこ顔出す私も私だし、おっちょこちょい夫婦だなあと思われてるかもと思ったりしたけど・・・ほんとうに感謝してる。

◎ 最後になるとは思っていなかった、だけど最後の夫の言葉。

2010年11月16日 (火)

わたしの怒り

きのうは2回目の月命日であった。築地本願寺にいつも通りにお参りに行った。本堂のイスに座って時間を過ごすだけで、すこし心が静かになる救いの空間。・・・のはずが、きのうは報恩講のため大人数で、飛び入りでお念仏もできて、なかなかよかった。(ちょっと疲れたけど)。

□□□

受付でもらった「TSUKIJI」という出版物の中に、印象に残る記事があった。

「私たちは、「誰もわかってくれない」と思うと心を閉ざしてしまいます。「よかれ」と思っても、それが相手への押し付けになると、結果として孤独感を深めることになってしまいます。」(以上引用)

コラムは親が子供に接するときのことを例にして、「あなたを大切に思っている」と相手を尊重して接することが大切、という主旨の文章なので、周囲との接触をなるたけ避けてしまう今の私には馬の耳に念仏なんだけど。

「誰もわかってくれない」って、最近思ってしまうことが多い。そう思ってると心が閉じてしまうんだな・・・。


□□□


もうひとつは「唯」という冊子。お釈迦様のお話のページなんだけど、物語風でおもしろい。

ある沙門がお釈迦様の教えに賛同する人が多いことを妬んで、お釈迦様に罵詈雑言をあびせかけたときに、お釈迦様がその「罵詈雑言を受け取らなかった」という話し。

「あなたが口にした罵詈雑言はあなたのものだ。わたしは受け取らない」
「怒りに対して怒りを返すのは愚かなことだ、と知っているからだよ、バラモン。怒りは自らを傷つけ、ときには破滅に導く。だから、私は怒りを持たない。」(以上引用)


□□□


【5】わたしの激情、爆発的感情(怒り)・・・

● 初七日法要のあと、「お骨を忘れて帰らないでね」って真剣な顔で夫の従姉妹に言われたとき。ショック、怒りと涙でした。(その後は、ご本人はやさしいお手紙をくださるので、なんとなく好感)。

● 葬儀後2、3日後に義姉から義兄会社関係の香典のリストをくれと一方的に言われたとき。葬儀後やっと家で眠り、香典袋の山を前に気が滅入っていたときだったので、怒り爆発だった。駅のホームで電話を受けたが、電話を切ったあと人前にもかかわらず大声で文句を言ってしまった。(義姉にはいつも感謝してるので、このときの自分のいかりっぷりに我ながら驚いた。)

● 義母への激情①
泣きながら電話してきて、泣かずに応対する私を「あなたは元気」「わたしは泣いてもうだめ」と延々一方的に話されたとき。心臓がバクバクした。

● 義母への激情②
義母が夫の会社の友人に電話で「うちにお位牌もお骨もないからさみしい」と泣いて話したこと。それを聞いた直後に義兄に「法要後、お骨をうちにおいといてくれへんか」といわれて、爆発。「そんなにわたしのところにあるのがご不満なら、なにもかも持っていってください!」みたいになってしまった。(義兄になだめられ、その後、義姉と電話で話して、なんとか平静に。)

● 妊娠中の妹が体に無理しても四十九日法要に出ると言ってると母に聞いたときに「出なくていい!そんなことでなにかあったなんて言われたくない!」といってしまったとき。(妹のことでは正直まだわだかまりがある。「わたしへの気遣いを期待するほうがおかしい」「こんな状態でもわたしから連絡しないといけないの?」「妊婦のあの人のほうが大変・・・」となどと思いめぐる自分がいて、とても複雑。)


負の気持ちを振り返るのはしんどいな。でも、ちゃんと振り返ると、2カ月で5つだ。
でも、わたし、ぜんぶ後から怒ってるだけで、いちども言い返したり、気持ちを伝えたりしてないや。

2010年11月14日 (日)

わたしの不信感

ここのとこ落ち込みが激しくて、自分でもてあましてしまう。寝つきもめちゃくちゃ悪くて、腕に力が入らない。外に出たり、テレビを見たり、ものを食べる気力もいつまでもわかない。無理にでも人に会ったり、テレビを見たりしたほうがいいの? それとも今までどおり無理しないでひきこもりで過ごしててもいいの? こんな状態で、引越、相続の話、喪中欠礼・・・ってこなせるのか、自分でも不安。何かを頼りたくなる。ネットでグリーフワーク、グリーフサポートのこと、いろいろ検索する。


こういうとき、やっぱりカウンセリングが身近な環境だったらいいのにな・・・って思う。
せっかく仏教でお葬式をしたんだから、せめて、お寺がそういう手を積極的に差しのべてくれる・・・とか。


今日、すこし心に残ったのは、株式会社ジーエスアイってところのブログ。
http://www.griefsupport.co.jp/griefreport/2006/08/post_2.html#more


グリーフには8つの局面がある、とありました。プロセスではなく「局面」なので、その体験がない場合もあれば、順番通りというのではない。
以下は引用です。

  ①ショック、麻痺、否認、不信感    
  ②混乱、困惑、思慕、探索
  ③パニック、不安、恐怖感
  ④身体的変化、体調の変化
  ⑤激情、爆発的感情         
  ⑥罪悪感、後悔
  ⑦空虚感、喪失感、うつ、深い悲しみ
  ⑧解放感

んで、①の段階について・・・(以下引用)。

《自分の体験を確認するために》

 白い紙に、ショック、否認、麻痺、不信感と関連して経験したことを書いてください。そのことに関連して、感じたことを日々綴っていく日記などは、あなた自身の思いや感情に対する理解を深めるために有効です。そして、必ず「私のショック、否認、麻痺、不信感の経験は・・・ものでした(です)」と書いてみてください。

□□□


【わたしのショック】

● 夫が突然倒れ、救急車で運ばれたとき、「ただごとではない」とはわかっていた。必死だった。でも、きっと助けてもらえると信じた。処置中も「夫は生きてがんばっているから、私が泣いたら夫のがんばりを否定することになる」と思っていた。

● 斎場。扉をしめられたとき。


【わたしの否認と麻痺】

● なんとか命を助けてもらったと心から感謝した3日後に、生命予後について0%と言われたとき。頭がしびれて、よくわからなかった。頭の後ろのほとんどがひどくしびれて、涙がろくに出なかった。家に帰されてから、どうしてもじっとしていられず、家の周りを歩きまわった。すこしずつ、夫が死ぬと言われたことを頭では理解した。

● 病院の霊安室でお線香をあげることができなかった。葬儀でも手を合わせることができなかった。家でも拝むことができなかった。(ぜんぶ、させられたから、した。)

● 仮通夜、お通夜のとき
病院で夫のそばにいるときだけ安心で、そのほかは携帯を握りしめて、ずっと緊張してたから、仮通夜のとき、気がぬけてしまった。一番かなしいときに、なにか平穏な気分もしてたのは、麻痺してたのかな。電話をくれた友人に「話し方が普通だから余計心配」って言われた。

● お葬式全般は、人ごとのように感じてた気がする。もちろん涙も出たし、遠方から来てくれた知り合いをみて悲しみが込み上げてきたりもしたけど、なにかフワフワしてた。義母が夫の名前を呼びながら大仰に泣いているのをすごく冷めた気持ちで見てた。斎場に向かう車の中で急激にさみしさが襲ってきた。

● 二週間ぐらいたったとき、夫が家にいないことが急に認められなくなった。外出から帰宅してドアを開けるときに「いてください!」って思った。泣きながら、「帰ってきてください!」って言った。願いをかなえてくれるまで、だだをこねて子供のように泣いてる、ような気がした。


【わたしの不信感(なぜ?)】

不信感は数え切れないかも。振り返るのはおっくう。

●  「暑い暑い、遠い遠い」と言いながら病院に到着した義母。私への第一声は「私は15年間こんなことの繰り返しだったのよ!」だった(亡くなった義父のこと)。入院中も夫が低体温を保つために冷房の利いた部屋を「寒い」と空調の温度を上げてもらったりした。なぜ・・・?。

● 「おしっこがでなくなったらもうあかん」を繰り返し、おしっこの確認ばかりした義母。お見舞いの人にもその説明ばかりした。なぜ・・・?。 

● 医師の説明。最初にY医師に宣告された。翌日、A医師がまだ話を聞いていない家族のために再度説明した。この二人の説明の食い違いが、わたしを混乱に陥れた。
最初のY医師の宣告を受けた日の夜、「もう決して助からない。これは延命治療なのだ。」と必死に自分に言い聞かせた。そんな私には、翌日のA医師の「天寿」「奇跡」等の言葉の意味がわからなかった。先生の話はもう聞いていなかった。あとから「わたしは冷静すぎるのか。夫への愛が足りないのか。」とものすごく自分不信にもなってしまった。

● 義兄に「京都で葬式したい」と言われたこと。義兄は遠慮がちに相談する感じだったが、その夜、義姉から電話で「京都につれて帰りたいって言ってしまったようだけど」って言われ(義姉はフォローのつもりだったと思うけど、それが本音を聞いたみたいで)、かなりショックだった。そのまま答えずにいたら、東京で葬儀になった。

● 年配の親戚は関西からやってきてくれてみなどこか興奮気味だった。伯母が「なにくそってがんばるんやで。おばちゃんもお母さんもそうやってがんばってきた!」って励まされたこと。「なにくそってなにに?」。「おばちゃん、結婚してなくて夫はいないじゃん」と思い、すごくしんどくて・・・(その後は、伯母の電話はやさしいことばばかり。伯母も興奮していたみたい)。

● 一番仲良しだと思ってた友人からなんの音沙汰もないこと。入院中は連絡もしたし、お香典は送ってくれたけど、それっきり。

● 夫の同期の人が、「自分の親友が前夫の急死後、良縁に恵まれて2年たらずで再婚した」と葉書をくれたこと。励ましてくれているんだよね??

□□□


わたしは、いま、もがいています。

わたしは、こころをとざしているのでしょうか。
こころをひらく、ってどういうことですか。

2010年11月13日 (土)

すてきなところだよ

あたらしいお部屋の契約に行って、周囲をすこし歩いてみた。
いいところだね。きっと夫もいいところだよね、っていう。
知らないところだけど、わたしと一緒に行ってくれるかな。


おいしいも、たのしいも、おもしろいも、うれしいも、きもちいいも、かわいいも、すきも、
ぜんぶ二人で分け合って、
ぜんぶ二倍以上になった。


それが今はぜんぶにがて。


かなしいとつらいだけで、こころがいっぱいになってる。

2010年11月12日 (金)

使う主を待つものたち

「つよいこころ」はうそもんだったのか。それとも、気持ちの振り子が大きく振れてしまったのか。昨晩は、へこみにへこんでしまった。本を読んでても、すぐに気持ちが飛んでしまう。むりやりな「気まぎらわし」ができない。

泣いてしまうときは、つらい、さみしい、かなしいとかの言葉でいいあらわせる感情じゃない。あんなに楽しく、いきいきと、将来を語り、日常生活をおくっていた、夫の時間が、突然途切れてしまったことが、受け入れられない。どうしようもない気持ち。


□□□


今より狭い部屋に引っ越しを余議なくされて、どんなにがんばってもいくつかの荷物を整理しないといけない。

でも、夫のものを整理する気持ちにどうしてもなれない。

わたしが死んだとき、残された人たちが整理に困らないように、なるべく身軽にするんだ。思い出にとらわれたような「ものたち」は、わたしにとってしか意味のないものだもん。

なるべく、なるべく、そう思おうと思うけど、実行するのは気が重い。


□□□


次の出番を待ってたダークスーツの肩に、ホコリがたまっていた。

そのままにしておきたい、って思っているけど、こうやって、使う主がいなくなったことを目の当たりにして、切ない気持ちを重ねていくことになるのかな。

でも、もう少し時間をください。

2010年11月11日 (木)

すこしだけつよいこころ

今日、二子玉川の高島屋から歩いて帰ってみた。

もう暗くなっていたけど、丸子川沿いにずんずん歩いた。

この道にだって、歩いて出かけることそのものだって、思い出ばかりだから、最初は迷ったけど、歩くことにした。

電車の中でたくさんの人に囲まれるのもしんどいし、もう一月もしたらこの地を離れると思うと、閉じこもったままで離れるのもさみしく感じているから。


□□□


目に入るものすべてに、思いだして、胸がつまった。
考えないように、足裏の着地にだけ気持ちを向けて、ずんずん歩いた。
それでも、気がそれて、思いだす。わざと気持ちをそらして、「右」、「左」、と歩いた。

そしたらね、すこし気持ちが軽くなったよ。

わたしも死ぬ。
残されたこれから、ひとりでつらい、つらい、なにも楽しいことがない、一人で生きててもしょうがない。
死にたくても死ねない、死のうと思えば死ねるのか・・・、そんなことしなくても、わたしもいつか死ぬ。

それなら死んでもいいや、ってことだよね、って思った。すこし進めるような気がした。

つらい妄想は気持ちをそらすようにしたけど、いい妄想は許すことにして、ずんずん歩いたよ。


□□□


きっと、冷たくて静かな空気の中を歩いたからだと思う。二か月目だから、いっしゅんもてた、つよい気持ちだと思う。
いっしゅんだったとしても、まわりの空気にもらえた気持ちだとしても、すこしうれしかった。

夫の生きたあかしなんて、わたしには作れない。
だけど、夫の結婚してた、くらしのあかし、はわたしにしか作れない。


□□□


でも、やっぱりそんなにつよくなれたわけじゃなかった、スーパーに入ったらたちまち凹んでしまったから。

すこしずつ、ひとりよがりだけど、いいよね。

2010年11月10日 (水)

おいていかないで

きのうは、へこみ具合が半端じゃなくて、一日中、かなしい、さみしい、つらい、なんで?、どうしたらいい?、の繰り返し。きのうだけじゃない、最近、そういう時間が多い。


たぶん、私の家族も、なんやいうたら夫の家族だって、友達も、心配してくれている夫の友人も、
いつまでもいつまでも、こんなところをぐるぐるまわっている私を、そのうち持てあますに違いない。
今も、こんなふうにぐるぐるまわっていることは知らないかもしれない。


泣いても、話しても、書いても、読んでも、何も変わらない。


吐き出すように話したり、メールに書いても、相手には分かってもらえない。分かってもらおうと期待するのも違うってわかってる。それなら、もう話したり、書いたりすることもやめたほうがいいように思う。


自転車で出かけてみようかな、とか、朝、ちゃんと起きてヨガでもしようかな、とか、思いついたりはするんだけど、体はなかなか動かない。
食事もそう。イタリアンだって、ラーメンだって、食べてみようかな、って思ったりはするんだけど、実際にお店にはとてもじゃないけど足が向かない。自分でも作れない。


TKくん、わたし、ほんとうに楽しかったから。
ちゃんと、楽しかったことを、感謝するためには、こんなことじゃだめだって、わかっているから。
もう少し、時間をください。


病院で過ごしたお別れの時間は、もう声にしてお話することもできなかったし、手を握り返してくれることもできなかったけど、何かが伝わると思って、一生懸命、心の中で話しかけたよ。
聞こえてたよね。


わたし、一人では何もできないんだ
わたし、TKくんがいないとだめなんだ


ってずっと言ってしまった。それでも私をおいていった。


ちゃんと、ありがとうって言えなくて、ごめん。
でも、ありがとうって言うと、お別れになる、って思ってたの。

2010年11月 9日 (火)

わたしは冷たい人間かと思ったとき

最近、気がついたら、歯をくいしばってる。


わたし、顎関節症気味だって分かっているから、歯医者さんの指導もあって、普段から食いしばらないように気をつけていた。


でも、最近、気が付いたら、ギュ、となってる。


何をするにも気力がなくて、家で本を読んだり泣いてるだけ。やらなきゃいけないことも、どんどん後回しにして、自己嫌悪になったり、どうでもいいや、と思ったりの繰り返し。そんなに自堕落な生活なのに、時々は胸が息苦しくなったり、妙な緊張感が襲ってきたりする。歯もくいしばってる。


□□□


あまりに突然のことだったので、夫が倒れたときからお葬式が終わるまでの3週間ちょっとの間の、自分のことがよくわからない。


何が起こっているかは頭では理解できてた。取り乱したりしなかった、というよりできなかった。先生に病状の説明聞くときもちゃんとしっかり受け答えした。ナースの人とは夫のことで雑談もしたし、お見舞いの人にはちゃんと応対できたと思う。


気持ちが置いてけぼりで何度もぼんやりしてたけど、病室で二人のときは夫の手を握り泣いてしまったし、行き帰りも声に出して歩きながら泣いてしまった。どっちもほんとうの正直な私だった。


□□□


ぼんやり、一人、多摩川の橋を歩きながら、「私は未亡人になるんだな。」と思った。
そのとき連想が始まったのを覚えてる。歩くと汗ばむ夏のお天気のいい日で、多摩川がいつもどおりゆるゆる流れてた。容態がすこし安定して、病院に行くのが妙な日常になっていたときだった。


「39才で未亡人か。」
「自分で年金もらえるまで、正社員の仕事とか探さなくちゃな。」
「まだ結婚してない友達、何人もいるけど、私、同じ年で、パートナーなしになるけど、ぜんぜん違うよな。」
「時々飲む友達のおっさん達も、未亡人相手だと勝手が違うよな。」


「TKくん、『○○ちゃん、かっこええ未亡人やん』って言うのはどんなのかな。」


・・・バカバカしい連想はそこで終わり。


そんな連想できちゃうなんて、私ってヘンだな。


夫の意識は戻らないって言われても、気を失ったりすることもなかった。
その場で、泣き叫んだりすることもなかった。

夫とは、お互いに選んで一緒に暮らしていただけで、血縁の身内じゃないから・・・、私って冷たいのかな。

夫のこと、大好きで、一緒にいることが当たり前の人だと思っていたのに、私はなんで冷静なのか。

でも、頭がぼんやりしていて、わざとらしく泣くことなんてできない。


□□□


あんな連想は、お葬式が終わったあとからはまったくない。ぷっつり日常と切り離されて、あれまでの私と、これからのわたしは、いまのとこつながらない。

あの3週間の私は、それまでの私でもなく、あのあとの私でもなく、ちゅうぶらりんの違う世界をふわふわしていた。

今はっきり分かること。今の私は、自分で見てもいやなぐらい冷静ではなくて、夫のことばかり考えて、めそめそしている。

2010年11月 8日 (月)

見栄っぱりなのか、同情してほしいのか

今日、夫の同僚の方にお願いすることがあって、新宿でお会いした。

新宿で、当たり前のように歩いていたはずの夫。その姿がない。
私が歩きなれない新宿で、道案内してくれたり、待ち合わせ場所まで迎えにきてくれたのに。

入院当初からお世話になって、その後も親身になってもらっている同僚のお二人。夫が友情を築いたからこそ、こうして私にまで気遣ってもらえる。ほんとに感謝する。


□□□


すこしずつ、世間と自分とのギャップが大きくなってきてる。

ほんとは、世間に、まじって、もまれて、すこしずつ日常を取り戻していかないといけないのかな。
そう思う自分と、
今は無理しないでいい、誰とも会いたくなかったら、会わなくてもいい。
って思う自分との葛藤がある。


一番私を気遣ってくれるはずの実家の家族からも逃げてる。
ほんとだったら、逃げ込んで、まもってくれる家族。
でも、その日常に身を置くことから逃げてる。妹家族、親戚が幸せな日常を送る、その当たり前なことを、目の当たりにすることから逃げてる。

そうやって、落ち込みの深みにはまっていくんじゃないか・・・っていう漠然とした不安はある。

でも、逃げることを選んでる。
もっとも近い家族の幸せさえ、今の私には、一緒に笑って過ごす余裕がない。情けない。


□□□


「ちょっと落ち着いたかな」
「元気そう」
「しっかりしてる嫁さんでよかった」


ぐずぐずと泣いているところを見せたくない、同情なんてしてほしくない。
夫と過ごした日、わたしはものすごく幸せだったし、夫が恥ずかしく思うような妻ではありたくない。

そう思って、対外的には対応しようとする。最低限しなくちゃいけない段取りを考え、手続きし、家さがしをする。

それでも、ほんとは、つらい。
なんで、一人で動いているのか、わからない。

人に「つらくてもがんばってる」って言ってほしいの? そうじゃない。

母の前ならいいか、と泣いてしまう自分も情けない。誰も一緒に悲しんではくれない、自分で処理しないといけないだけ。

TKくん、たすけてください。いつものように私の話しを聞いてほしい。

2010年11月 6日 (土)

ことば

今日は年金事務所にいったあとで、おうちを探してきたよ

わたしは39歳なので、遺族年金が基礎部分だけ。それでも、わたしが想像していたよりは金額が多かった
落ち着いたら働くつもり。生活のためだけじゃなく、自分のためにも、そうしたい。けれど、私に金銭的な不安が残らないようにしていてくれていたことが分かるたびに、感謝する半面、ほんとうにかなしくて、さみしい気持ちがこみあげる

今日はまったくなじみのない駅前のマンションを2軒みた
新しい生活のイメージをつくることができないので、とても後ろ向きな家さがし
やはり駐車場代は大きいなあ。でも、「いつかまたゴルフがしたい」ってことだけが、今の私にある唯一の前向きなイメージなので、車はできたら持っていたい・・・。わたしとゴルフすることを夫が喜んでくれる、これだけが確信できること。ゴルフできる生活は保ちたい、それが働きに行こうと思う原動力なの。


□□□


会社の退職手続の書類作成、弔問客のリストまとめ、満中陰のお礼。事務作業をするときは、ある意味、気がまぎれた。

家で一人じっとしていて、わけがわからないぐらいかなしくなって、頭がぐるぐるまわりそうになったら、小説を手に取る。それが気をまぎらすたったひとつの方法。


書類のやりとりで、義母からのメッセージに「忙しそうで気が紛れていいかもしれないね」と書いてあった・・・。


わたし自身、気が紛れる・・・と思っていたけど、他人に「気が紛れていいね」って言われるのはちょっと違う気がする。

だって、ほんとうは紛れていないから。無理に紛れさせようとがんばっているだけだ。ときには余計にしんどくなることもある。

本人が自分にいい聞かせるように思っている言葉。同じ言葉でも人はかけてはいけないと思う。
私も、気をつけないといけない、と思う。


□□□


人にかけてもらって、勇気づけられたり、うれしかった言葉だけを思いだしたい。

夫が入院したとき、三年前に奥さまを亡くされた夫の友人の
「今、できることをしたらいい。悔いは必ず残るよ。でも、それは一つ一つあとから潰していったらいいんだから」
ということば

今回急に退職することにしたとき、退職について謝る私に、会社の部長がかけてくれた
「自分を責めることはないよ」
ということば

海外から夫にお線香をあげにきてくれた夫の友人が、私の話を散々聞いたあとで言ってくれた
「きっと、いいことも、ありますよ」
ということば

その人のお人柄、そのときの状況、私の心理状態、いろいろあるけど、それも含めて、うれしかった言葉を思い出したいと思う。

2010年11月 3日 (水)

義兄のこと

今日から母が来てくれることになったよ

前回、来てくれたのは、3週間半前・・・
あのときは、不安やらわけのわからない感情が渦巻いていて、一人でいるのがつらかった。「だいじょうぶだから無理してこなくていいよ」と言いつつ、実はすごく来てほしかった
そのときから比べると、気持ちはだいぶ落ち着いてきてるのかな、と自分でも思う


□□□


夫は二人兄弟の二男
父親は夫が学生のときに亡くなっていることもあって、義兄が若いときから一家の大黒柱だったみたい


義兄の悲しみはとても深かった


私は、義母がかなしい思いをする、落ち込む、ということに気をとられていた。「息子を亡くす母親」を自分勝手に想像していた。大切な人を亡くすことの、つらさやかなしさを比べることなんてできないし、する意味もないが、漠然と、世の中で一番つらいことは、子を亡くすことなんじゃないか・・・と思っていた(今もそう思ってる)。


でも、少なくとも、義母とは今回、気持ちを共有することは全くできなかったけど、病院で過ごす時間の中で、義兄をみて切ない思いをしたり、義兄のやさしさには何度も泣いたりしてしまった


夫の入院時は、義兄もやはり平常じゃなかっただろうし、なんどかは義兄の言葉にショックを受けたりしたこともあったけど、それはきっとお互い様だと思う


夫が倒れた朝のことが頭をよぎると、「わたしがああしていたら、こんなことにならなかったのでは・・・」と今も思う。考えるだけでもつらいばかりで、どうしようもないことだと分かっているのに、自然と頭をもたげるときがある。でも、あの朝、私が夫に最善をつくすためには・・・考えるはじめると、もっともっと前から後悔することがある。


病院の待合ロビーにいるとき、「時間がもどってほしい。・・・でも、だいぶ前までもどらなあかん」と言ってしまった
そのとき義兄が「せやけど、もういっかいこんなかなしい思いせなあかんかもしれへんで」と言った


「大事に大事にしてたのに、最後にこんな思いさせてしまったなあ」と言ってくれた。そのときは素直に「大事にしてくれてた感謝の気持ちのほうが大きい」と思えた。でも、胸が苦しくて言えなかった。


□□□


夫と義兄は仲のいい兄弟だったと思う


私と結婚したころにはお互いに仕事が忙しくて、家も離れていたから年に2、3度会えるかどうかだったけど、若いころはお互いの友達も知り合いで遊んだり、旅行にも一緒に行ったりしてる。たぶん、兄弟としてはかなり仲のいいほうだったんだと思う


わたしの知らない夫との思い出が義兄にはたくさんあると思う

いつか、義兄にそんな話が聞けるときがくればいいな、と最近思う

2010年11月 2日 (火)

四十九日

今朝、久しぶりに窓から富士山がきれいに見えたよ
TKくんの四十九日だからかなあ・・・
夏の富士山と違って、山頂から斜めに白くお化粧していました

富士山がきれいに見えるゴルフコースに今年に入ってから月に一度は行っていて、季節ごとの富士山の変化を楽しみにしていたのにね


□□□


父が亡くなったときのことをよく思い出す。12年前のことだ。

父は、定年退職後半年ほどのときに急に亡くなったので、40代半ばで亡くなった夫よりは長生きだけど、まだまだ早すぎると感じた
それまで身近な人の死を体験したことがなかった私は、長女なのに家族の中でも一番情けなかったんじゃないかと思うほど、ほんとうに取り乱してしまった

正直、あのときのことはよく覚えていない
記憶はしっかりとあるが、断片的で、あとでつじつまがあうように繋げていった感じ

たぶん緊急入院して私も職場から呼び出されて・・・というところから数えると2週間近く仕事をお休みしてしまったと思う
同僚にはずいぶん迷惑をかけたが、とても自然に迎えてもらい、ちょっとずつちょっとずつ日常を取り戻していった。あの人達だったからその時間が苦痛じゃなかったって、今もすごく感謝してる。

しばらくは仕事中はつとめて普通にして(たぶんすごく不自然だったと思うけど)、車に乗った瞬間から泣きながら帰宅・・・という毎日だった。けど、徐々に泣くこともなくなった。けど、そのころカーステできいていたCDは、あれから一度もきいてない。

いつぐらいからか定かじゃないけど、父のことは楽しい思い出をたくさん話すことができる

けど、病院でのことなど、今でも思いがけず脳裏をよぎって、うっ と、込み上げてくるときがある
つらい思い出が連鎖的に出てきそうになるのを、避けるすべはだんだんと身に付いた


□□□


父のことを忘れたことはないけど、あのとき、私はわりと着々と日常を取り戻した
泣く時間が徐々に少なくなって、ほんとに「日にち薬」だなあと実感したりした

けど、もしかして、母はどうだったのかな、とこのごろ思う

私たち子供たちが仕事や学校に戻って、すこしずつ日常を取り戻していくのをみて、安心しながらも、孤独感があったんじゃないだろうか
仲良さそうなご夫婦をみると、やはり今でもやりきれなくさみしい気持ちでいるんじゃないだろうか

父が亡くなってから、きょうだい3人とも次々に結婚して、孫も3人生まれた
家族が増えて、母もうれしい、たのしい歳月だったろうと思うけど、それでも「夫」としての父がいなくなった空虚感を埋められるものではなかったかもしれない

お年寄りのご夫婦が仲よさそうにしているところをみると、わたしはよく、夫の両親も、私の両親も、こういう時間を持てなかったことをとてもさみしく思った

まさか、自分も持てないことになるなんて、そんときは考えもしなかった


□□□


今日、夫に買ってもらったシルバーのネックレスをお店で洗浄してもらった
その待ち時間にダイヤのネックレスをみた
ダイヤモンドがプチとついたネックレスがほしいと言いつつ、気にいったデザインのものが決まらずにずっと保留にしてた。いつか買ってもらえるって思ってたから・・・。
買ってあげたいってきっと思ってたよね・・・。
TKくんからのプレゼントだって思って、いつか買うね。都合よく解釈するなあって言わないでね。

2010年11月 1日 (月)

かけがえのないひと

一人で駅前に行ったり、電車に乗ったりするとき

すこし前までは、「こんなにたくさんの人がいて元気そうに普通に暮らしてる。私にとってはなんの意味もない人たち。」などとぼんやり考えていた

今は、「この人たちも、みんな、誰かにとっては、かけがえのない大切な人なんだ。」と思う
(中には、そうじゃない人もいるかもしれないけど・・・)

こんなにいっぱい人がいる中で、たった一人、まったく無条件で、私を大切にしてくれて、私の味方だった、かけがえのない人が、私にはいなくなった

わたしを一番に必要してくれる人も、もういない

そんな人がいつも近くにいてくれることを、当たり前だと思って、どんなに幸せなことか分かっていなかった


□□□


今、私を支えてくれたり、励ましてくれたりする人達にも、かなしいけど、いつか大切な家族と別れないといけないときは 必ず やってくる
どんなに年をとってからでも、悲しさは変わらないかもしれないけど、それでも、なるべく、なるべく、幸せなときを長く続けてほしいと思う
年の順番に、幸せだったね、ありがとう、って思えるお別れであってほしい


□□□


お礼状、たいへんだよ
枚数がめちゃくちゃ多いし、たんたんと作業してるつもりでも、弔事用の切手が目に入ったり、葬儀のときのこと思い出しちゃったりして、気持ちがどんよりする
でもやらなきゃ。がんばります

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

フォト

プロフィール

  • ウ525
    2010年9月46歳夫突然死。子どもなし一人暮し。なかなか元気でませんが、マイペースで生きてます。 twitterアカウント:usako88chan instagramアカウント:usako88
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

ウェブページ

無料ブログはココログ